「南無アッバ」を生きる ホーム » 今日、心に残った言葉 »わたしについて来なさい

わたしについて来なさい  

『マタイによる福音書』4:18-22より。
福音伝道にあたって、さっそく4人の漁師を召命するイエス。
印象的なのは、イエスに「ついて来なさい」と声をかけられると、彼らは「網を捨て」(20)「舟と父親とを残して」(22)従ったということ。
仕事も親も捨てるというのは、よほどの覚悟です(ただし、絶縁ではない)。
この心境の背景には、たしかにイエスの圧倒的な魅力、いわばオーラを直感したこと、あるいは実際にはイエスと同じくエッセネ派洗礼者ヨハネ教団のなかで、イエスの人格を少しずつ知っていったのかもしれません。
いずれにしろ彼らの心の奥底には、青年の熱烈な求道心、ほんとうの道を求めて止まない一途さがあったのでしょう。
網元に匹敵するような、安定した財産や家族を残して、どうなるかわからない放浪の旅に出るのですから。
そうした切羽詰まった気持ちゆえ「すぐに」イエスに従ったのではないでしょうか(20,22)。

翻って私たち自身を考えると、イエスとの出会いは、いつ、どのように訪れるのでしょうか。
弟子たちが「網を打ったり、手入れをしていた」(18,21)ときに、ふと訪れたように、刻々の生活は、イエスと出会うあらゆるチャンスを包含しています。

人生には熟慮の末の決断も大切ですが、直感的即断も多々あるでしょう。日々の生活では、むしろ無意識に直感で行動している方が多いかもしれません。
そのどちらが良い結果を生むかわかりません。
「後の者が先になり、先の者が後になる」イエスの福音から推せば、人間の熟慮など大した問題ではないのかもしれません。
熟考を放棄せず、しかし同時に直感力も大事にする。
そのためには、日頃から、感性を磨いておく=「目を覚ましている」(25:13)ことが肝心なのだと思います。
関連記事


category: 今日、心に残った言葉

thread: 聖書・キリスト教

janre: 学問・文化・芸術

tb: 0   cm: 2

コメント

仕事も親も捨てる

私は以前、この場面は(召命)だと教わったことがあります。でも、今日この部分を読んでみて気がついた事があります、(仕事も親も捨ててイエスに従う)ということは何も実際に親や仕事を捨ててイエスについていった事ではなく「私達にとっては」親もいる、仕事もあるがそれ以上にイエスの教えは優先され、実行されること・・?かなって思いました。

ヨハンナ #Nj7KJdKE | URL
2005/12/02 09:57 | edit

霊的関係への招き

そうですね。実際、召命の後でもイエス一行は、ペトロに家に行ったりしていますし、絶縁というのではないですね。
マリア様もついてきたし。。。。
血縁に関係なく新しい霊的関係に招いた、ということかもしれません。

余白 #oBO5MkqQ | URL
2005/12/02 11:09 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/83-6faa07b0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

検索フォーム

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

▲ Pagetop