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第136号:07-5-12発行  

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*今号も心のこもった作品をありがとうございます。
Copyright © 2005 余白こと平田栄一, All rights reserved.
求道俳句会作品

花菜風浮きつ沈みつ自転車は  佐藤淡丘

ほつほつと歩む残花や遥かなり

唐傘に芍薬あずけ午睡せり

葉桜の闇を出で来し平常心

崖にゐてこころを遣らふ花吹雪


栄一:全句春の心地良い浮遊感が巧く詠われています。「つばさ」十四号に、淡丘氏は先年亡くなったカトリック俳人小川双々子師の、

  亡郷やてのひらを突く麦の禾  双々子

について、「神の国の愛は、われわれを決して絶望させない。生も死も乗り越えて、一人ひとりを「てのひら」の中に今も刻印して下さっているのだ。

キリストの復活を麦の穂に例えるように、私達の信仰は神の呼びかけに真っ直ぐ立って「はい」と応えるのです。」と、全幅の信頼を神に置く「南無アッバ」の句として、解釈しています。

――――――――――

風の人形           服部 剛

不思議な風を両手に集め 
 無我夢中でかためたら 
 いえす・きりすとの形になった 

 深く澄んだ瞳をみたら 
 じわりとしたさざ波が 
 心の襞(ひだ)にひろがった 

「 無題 」           服部 剛
 眠れる街に 
 街灯の姿で立つきりすとが 
 暗闇に 
 ひとすじの道を照らしている 


栄一:「風」に、「瞳」に、「街」中に、いつでもどこでもアッバのまなざしを感じていたい。

――――――――――

比田井 白雲子

空、ゆさゆさとサクラのゆれよう 
 
人間やめて雲にでものろう

子供、シャボン玉になってやろうか


自由律に希望の灯がともったのに、また平田さんが、やめてしまい残念。でも自分の信じる道を進むのが、一番ですね。

栄一:今の私にとっては、定型VS自由律というより、求道俳句を、どこまで追究できるか、ということが課題になっているのです。

――――――――――

○賞味期限17日過ぎの牛乳:ひかり

賞味期限切れの牛乳を家族に飲ませてしまった。開封してなかったので新しいと思い込んでた。コップに注ぎながら私はまだ気づかなかった。

確かめもしなかった。飲みかけの場合は反射的に必ず確かめるのに・・・。うっかり。不注意。私の弱点。牛乳の消費の多い我が家。

入りきらなくて野菜室に入れておいて冷蔵庫のポケットが空いたところで期限を確かめないで入れてしまったのか・・・。

誰か心当たりある?誰も、・・・覚えがない。記憶とは曖昧なもの。パッケージのぴんとした新しさに新しいと思い込んだ一瞬の出来事。

「私は、そういうことはしない。」「そういう間違いは私はしない。」そう言われた。そうかあ・・・。「あっ、もしかしたらぼくかもね。

覚えがないけど、うっかりやっちゃったのかも。」そう言われたら救われたかも。

栄一:う~ん、「あっ、もしかしたら・・・・」この一言が、家族の間でも、ってか家族だからこそ、出にくいのかもしれませんね。だれでもうっかりはあるもの。おおらかに行きたいですね、自戒をこめて。

――――――――――

結論・沈黙    
           NOISE
沈黙なさることも、
 お語りになることも、
 神さまの勝手。

 神は
 自分に合わせて作る
 衣服ではない。

 神は、
 わたしを包み、
 また、内側から満たすもの。
 
単に着るものではない。
 わたしができるのは
 その沈黙にも
 耳を傾けること。

 目の前の出会いのうちに潜む
 小さいイエスに、
 そして、
 自分に迫る出来事に、
 目を見開き、ひたすら聴くこと。

 そのうちに
 喜びと希望を
 見出すこと。


栄一:信仰の根本は、まさに、この自己の相対化なのだと思います。それでも、なかなか、「沈黙にも耳を傾けること」や、「目の前の出会いに」「小さいイエス」に気づくことができない。だからこそ、しばしば、祈りが大切なのだ、と改めて教えられました。ありがとうございます。
――――――――――
小田原城        長谷川末子

城下町子供みこしの豆絞り

濠端に並ぶ面売り若葉風

松影の濠を揺らすや初ボート

城広場市をめぐるや夏日傘

天守閣ゆるりと廻るヘリ一機


  蛙             長谷川末子

 蛙が鳴くので
  干物を入れる
 干物たたんで窓に立つ
 外は葉桜柿若葉
 雨粒落ちて緑が映える

 いつもの丹沢
    姿を消した
 雨雲急いでカーテン閉めた
  小鳥は木の影
  チュン、ピー、キー
 蛙は草むら ありがとう
  
      
栄一:末子さんの作品はいつも等身大。けっして背伸びをしない自然さ、大らかさが魅力です。どの作品も、情景がパッと浮かんできます。

<余白アラカルト>


お知らせ
○井上洋治神父様傘寿のお祝い会なごやかに催される
五月三日、汗ばむほどの快晴のなか、井上神父八十歳のお祝い会が、「風の家」十周年記念と同じ、早稲田奉仕園内で、もようされました。

百人余りの人たちに囲まれ、井上洋治神父も終始にこやかに会話。くつろいだ雰囲気の中で、皆さん、それぞれに楽しんでおられました。

遠藤周作氏夫人・順子様も、ご高齢を押して臨席、ご挨拶を賜り、感謝申し上げます。また、遠方より駆けつけてくださった方々にも、心よりお礼申し上げます。

スタッフ=山根ご夫妻、伊藤神父様、そして「風の家」設立以来の若手信者の方々、毎度ご苦労様でした。

―――――

平田栄一の新刊『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫)―井上神父の言葉に出会う―〇六年十二月発行 五二五円(税込):イエスとともに、アッバの風に己を委せきって生きる――日本人求道者のためのキリスト教――井上洋治神父に長年師事してきた著者の体験にもとづく格好の井上神学入門書。

求道俳句会誌「余白の風」(1990年創刊)は俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。毎月発行しています。どなたでもご自由に投句・感想をお寄せください。(採否主宰一任)

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投稿先:ホームページ「今を生きることば

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