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第3章 ナザレの村からの出奔・洗礼者ヨハネ教団への入団  

●選民意識の打破
後に民族宗教であるユダヤ教の否定と超克のうえに世界宗教を打ち立てられる師が、この時点で、洗礼者ヨハネにお引かれになったのは、まさにこのユダヤ民族がつくりあげていったユダヤ人と異邦人との間の決定的な壁を打ち破ろうとしたこのヨハネの姿勢にあったと思えるのである。(59頁)

ナザレでユダヤ教徒として、エリート教育を受けていたはずの青年時代の日々、イエスは次第に、ユダヤ教の厳父的神観に疑問を抱いていった。

そこに、「メシア待望」を背景に洗礼者ヨハネが現れる。

イエスは家族と別れ、のちに弟子となるペトロやアンデレらと同様、ナザレからはるばるヨハネ教団に入団する。

その決意の根拠は何か、井上神父は、『ルカによる福音書』3章7-9節に答えを見出す。

すなわち、「神はこれらの石からでもアブラハムの子孫を起こすことがおできになるのだ。」

「石からでも」、ユダヤ人が見下していた「異邦人からでも」起こすことがおできになる。

事実ヨハネは、徴税人や(ローマの)兵士にも差別なく洗礼を授けた。血縁と無関係に、「悔い改め」という一点に救いの根拠が置かれる。

要するに、ヨハネはユダヤ教徒の選民意識をこえて、ラディカルに父性的神観・厳父的神のイメージを徹底した人物と考えられる。

この点では、厳父的神観に疑問を抱いたイエスに答えていない。むしろ対極にある。

が、まさに「この時点」では、ヨハネの「ユダヤ人と異邦人との決定的な壁を打ち破ろうとした」姿勢に、イエスは惹かれたのである。
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