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第二章 師イエスのユダヤ教への疑惑と反発の芽生え  

●律法のエリート教育
おそらくは、師(イエス)もヤコブも、将来有望な子供として律法学士やファリサイ派からエリート教育を受けておられたであろう。(43頁)

ユダヤ教の律法を第一とする考え方を紹介した後で、井上神父は、「イエスの兄弟ヤコブ」が「義人ヤコブ」と呼ばれていたことから、イエスも生前、相当律法を熟知していたはずだと説く。

イエスの少年期については、福音書からはほとんど何もわからないが、このことは、その後のイエスの思想形成を知る上で、重要な指摘である。

「律法」の「エリート教育」を受けたはずのイエスが、なぜ、律法を軽視するような批判を受けるようになったか、興味がわくところである。


●律法に精通していたからこそ
師(イエス)が「モーセ律法」に精通しておられたからこそ、師ははじめて、その「モーセ律法」の否定と超克のうえに、ユダヤ教を超えた御自分の新しい教え、新しい宗教をたてることがおできになった・・・・のである。(46頁)

当時のユダヤ教で、「モーセ律法」を堅持することを最高として、行き着いた先の律法主義。

その弊害が、いかに貧しい人や病人、「罪人」と呼ばれた人々を苦しめたか。イエスは律法のエリート教育を受け、熟知していたからこそ、その現実に心を痛める。

この章の表題が示すとおり、まさに「ユダヤ教への疑惑と反発」を深めていったことだろう。

旧約思想の否定・超克的イエス理解は、ラディカルに進められる。


●テクトン・イエス
・・・・最も大切なことは、この巡回労働者としての青年時代に、師イエスがガリラヤ地方の貧しい庶民たちと接し、彼らの抱いていた苦しみや悲しみや涙を、痛いほどに御自分の膚で感じとられたに違いないということであり、また同時に、外国のおそらくは子供たちとも接する数多くの機会を持たれたであろうということである。(48頁)

ユダヤ教徒として律法に精通していたイエスが、なぜ、それを否定・超克していくような思想、行動に駆り立てられたのか。

その大きなヒントが、青年時代の大工職人=「便利屋」のような「テクトン」=巡回労働者としての仕事にあったのだという。

なぜならこの仕事が、貧しい庶民の苦しみや涙を目の当たりにし、異邦人の子供との接触をも可能にしたからだ。

ここには、後に祭り上げられていくキリストからではなく、一人の人間としてのイエスからキリスト教を説き起こそうという「下からの神学」的発想が見られ、説得力がある。


●一つの「神の子」証明
この世でも、そして後の世でも、永久に逃れることのできない悲惨と苦しみをいだいて生きていかざるを得なかったこれら庶民の涙を膚で感じとられた師イエスの心に、次第に「このような掟を遵守したくても遵守できない境遇に置かれている哀しい人たちを、神は本当に罰せられるのだろうか。・・・・」という疑問が、そして遂にはユダヤ教の信仰そのものに対する疑問がふつふつと湧きあがってきたとしても何の不思議もあるまい。(52頁)

イエス時代、紀元前63年以降のローマ帝国による植民地政策により、ガリラヤ地方は「貨幣経済導入」による「経済的貧困」と、それゆえに律法を守れない結果としての「地獄の火」の恐怖、という「この世」と「あの世」の二重の絶望的状況に追い込まれていた。

巡回労働者としてのイエスが、この状況を目の当たりにし、当時のユダヤ教の在り方に疑問を持っていく様子が、説得力をもって描かれている。

しかしここで何より重要なのは、師イエスが「これら庶民の涙を膚で感じとられた」という「悲愛(アガペー)」の持ち主であった、ということだろう。

キリスト者が一般の人たちに、「イエスが神の子である」ということの証明をするのは難しい。

たとえそこに「復活」をもってきても、一般の人は即納得はしないだろう。

しかし、私たちの現実を考えたとき、自分と無関係な他者の「涙」と苦しみを、ここまで「膚で感じとり」さらに行動にまで移すことができるだろうか、と想像するとき、それは説得力ある一つの「神の子」証明になっているのではないだろうか。

「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい・・・・」(ヨハネ8:9)という福音書の一節を思い起こした。
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