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求道俳句会誌「余白の風」第134号  

2007年4月21日発行
Copyright © 2005 余白こと平田栄一, All rights reserved.

<巻頭エッセイ>
†ピカピカの1年生:佐藤淡丘
桜がよく似合いますね。
関東地方はもうすっかり葉桜のようですが、当地は後半の冷気花の持ちがよく、つい最近まで楽しむことができました。

 「余白の風」133号、ありがとうございました。スピリチュアル俳句日記、なかなか新鮮な気分で拝読させていただきました。

 四旬節、特に聖週間の精神性を俳句に上手に乗せ、陰鬱にならない範囲内で詠い上げていらっしゃると感心いたしました。「井上神学の十字架から復活へ」の想いをついぞ思い出しました。

アブラハムイエスに見ゆ目借時  栄一

の御句が、特に気に入りました。まさに、「南無アッバ!」です。
 さて、私事になり恐縮ですが、私の二女がこのご復活節に、東ティモールから一時休暇で戻ってきて、共に主の復活を祝いました。

 愚娘は、日本カトリック宣教者会(通称JLMM)より一昨年派遣され、僻地の公衆衛生の啓蒙にと、小さな活動に従事しています。しばしの滞在ですが、出身教会でのプレゼンテーションなど、多忙な日々を送っています。

 私のケガですが、もう松葉杖がとれ、自分の足で近くを散歩できるようになりました。ほんとうにありがたいことです。(4月13日)

<スピリチュアル俳句日記:平田栄一>

4/7  死人から抜け出るイエス聖土曜

復活の主日・復活の聖なる徹夜祭 C年ルカ24

4/8  磨かれし命は立てり復活祭

復活の主日 日中のミサ ヨハネ20
カテドラルもイグナチオも、ものすごい人出でしたー。

4/9 「おはよう」と声かけおうて復活祭    

復活の月曜日 マタイ28 マタイ伝では、復活の主の第一声は「おはよう」なのですね。

4/10  振り向けばイエスが見える春の墓  

復活の火曜日 ヨハネ20 今日もよく晴れました。

4/11  パン裂けばイエスとわかる花会式  

復活の水曜日 ルカ24

4/12  命へと導くイエスか佐保姫か  

復活の木曜日 使徒3

4/13  魚は氷に上りて主の日新たなり

復活の金曜日 ヨハネ21

4/14  イエスより始む復活春暑し  

復活の土曜日 マルコ16 夏日のなか、アッバミサ行わる。

4/15  春の朝トマスの如くアバを呼ぶ  

神のいつくしみの主日 ヨハネ20

4/16  春北風や思いのままに吹きて止む  

復活節第2週 第1周年 ヨハネ3 きのうとうってかわって、寒くなりました。これから、雨になるようです。三重で大きな地震がありました。

4/17  春嵐命もたらす主の息吹  

復活節第2火曜日 ヨハネ3 きのうから気温10度くらいで、暖房が復活しました。今朝は風も強く、嵐の様相でしたが、どうやら雨は止み、うすら日も出てきました。

4/18  南無アバと叫びたき程寒戻り  

復活節第2水曜日 ヨハネ3 昨日、アメリカの大学でまた射殺事件、死者30人以上。日本では、長崎市長が銃撃され、死亡。

4/19  春の闇貫くアバと子の絆  

復活節第2木曜日 ヨハネ3:31-36

4/20  春の野にパン裂くイエスと五千人  

復活の金曜日 ヨハネ6・1-15 共食物語 ようやく晴れて、春が戻ってきました。皆様にとって、よい週末となりますように。

4/21  春怒涛ゆるり近づくイエスかな  

復活節第2土曜日 ヨハネ6:16-21

<求道詩歌会員作品4/12-21>

青田風リハビリの途次躓くも  淡丘

花吹雪風くろぐろと地をわかち

公園の時計さみしも霾るに

水ぬるむよるべなけれどさざなみし

地の精を湖に映して山桜


栄一:お嬢様、アッバの手足となって活躍をされている様子、頼もしい限りですね。淡丘さんのリハビリの方も順調のようで、感謝です。

1句目、七転び八起き。
2句目、桜色と黒のコントラスト。
3句目「霾る」=「つちふる」と読みます。「黄砂」のこと、春の季語ですね。悠久の時間を思わせる。
4句目、ひらがなが繊細な感情表現に効果。
5句目、自然は生きています。

十字架の道行にも似た犬の姿  ヨハンナ

イエスさまに捧げるかのよう水のませ

 我が家の犬が病気になり半年、腫瘍のできた足を引きずるように散歩する犬をみてこんなに傷つき傷めたからだをおして生きようとする犬、エリザベスカラーを首にまいていて水を自分で飲めない犬に水を飲ませる時、不遜にもイエスさまを想像してしまいました。

RE:栄一:マザーテレサは、「あらゆる人の中に、イエスさまを見ます」と言っていました。その延長線で考えれば、「あらゆるものの中」にイエス様を見ても、おかしくないと思います。

とくに、日本人は、いきとしいけるものに、アッバの御顔を感じることは、自然ではないでしょうか。汎在キリスト論です。リズムをとるため、ちょっと添削しました。

畑より貰いて来たる菜の花の手篭の中に花咲かせたり  ひかり

2、3日前実家の畑から菜っ葉を貰って来ました。
気がついたら台所の隅で小さな花をつけていました。花ごと食べました。

実際は包んで来た新聞紙の中で2つ3つ花を咲かせていたのですが、「新聞紙」と表現せず、「手篭」としました。

こういう言い換えは短歌ではいいのでしょうか。余白さんは、このような時どのように歌われますか?

RE:栄一:まったく問題ないと思います。文学は歴史ではない、創造ですから。しかし、歴史にしても、目の前のものをそのまま記述するということが、そもそも何なのか。

すなわち「そのまま」とは、何かってこと。。。
 こういうことを考えると、福音書の史実性とリアリティとは何か、というところまでいって、面白い話になりますね。

†キリスト教とは「南無アッバ!」:平田栄一(ホームページ「今を生きることば」から)

はじめて聞いた方は、何これ?って思うかもしれません。この意味を、次の井上洋治神父の詩(祈り)によって、説明します。

アッバ アッバ/南無アッバ

「アッバ」とは、イエスが神を親しく呼んだアラム原語で、幼児が父親を呼ぶときの「パパ」「おとうちゃん」にあたる言葉。

良いことをしたから祝福、悪いことをしたから罰、という厳父ではなく、幼児を懐に抱く慈父の神のイメージ。
「南無」は、サンスクリット語で、「~に全幅の信頼を寄せる」という意味。

イエスさまにつきそわれ

このアッバの心を生き抜いたイエスが、いつも共にいてくださいます。

生きとし生けるものと手をつなぎ

人も草木も動物も含めた、すべての自然・万物といっしょに。

おみ風さまにつつまれて

「おみ風さま」=「聖霊」=「神の息吹き」は、アッバ・イエスの心を時代や場所を超えて伝える風。

アッバ アッバ/南無アッバ

すなわち、キリスト教とは、うれしいときも、悲しいときも、イエスとともに、アッバと呼べる神に全幅の信頼を寄せて生きることです。

 具体的には、日常の中で、折に触れて「南無アッバ」「南無アッバ」・・・と、この短い祈りを繰り返すことによって、少しずつ、アッバが主、自分が従、という「やわらかな生き方」に転換されていくでしょう。

風に己れを/まかせ切って/お生きなさい
         ガラティアの信徒への手紙5章16節(井上訳)
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平田栄一の新刊
『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫)-井上神父の言葉に出会う 06年12月発行 525円
イエスとともに、アッバの風に己を委せきって生きる――日本人求道者のためのキリスト教――井上洋治神父に長年師事してきた著者の体験にもとづく格好の井上神学入門書。
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求道俳句会誌「余白の風」(1990年創刊)は俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。毎月発行しています。どなたでもご自由に投句・感想をお寄せください。(採否主宰一任)
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投稿先:ホームページ「今を生きることば」の掲示板
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