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10 アッバの方から――ミサの意味  

祈りができないのならそれでもよい、悲愛の心がないのならそれでもよい、泥まみれの生活から抜け出られないのならそれでもよい、ただ手を合わせて私の方を向きなさい、私はアバからいただいた私のすべてをこめて、私の方からあなたの中に飛び込んでいってあげる――それがイエスの思いでした。
(『日本とイエスの顔』第九章 悲愛の突入)

 「カトリック教会が聖体の秘跡とよぶもののなかには、このイエスの思いのすべてがこめられています」と神父は続けます。

 さらに「十字架の愚」(コリントの信徒への手紙Ⅰ一章一七節以下)というパウロの言葉に触れ、「疑いが湧いて来たら、その疑いをひとまず心の風呂敷でつつみこみ、とにかく童心に立ち返って無心に両手を合わせて、聖体にこめられたイエスの来訪を受けとめること、それが永遠の生命-場に支配され、悲愛の喜びに導かれるためにもっとも大切なことだと」いいます。

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