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8 悲愛――共苦の心  

もし〝悲〟という字が、本来は人生の苦にたいする呻きを意味し、共に苦しむおもいやりを意味するものであれば、アガペーは悲愛とでも訳すのがいちばんふさわしいと思います。

イエスの孤独と苦悩と裏切りに耐えた十字架の死は、まさにこの悲愛のもっとも崇高な姿をあらわしているといえるでしょう。

(『日本とイエスの顔』第7章 キリストの生命体)

井上神父は、日本人の感性にうったえるために、キリスト教用語として一般に流布されている言葉を検討し、必要に応じて訳し直しています。

その典型的な例が、この「悲愛」という言葉です。一般には「愛」と訳されていたギリシャ語「アガペー」を、仏教にいう慈悲の「悲」に「共に」という意味を見出して命名したものです。
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category: 『日本とイエスの顔』

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コメント

質問 「十字架嫌悪シンドローム」

質問ですが、最近インターネットの「でじたる書房」というところで、『十字架嫌悪シンドローム』という本を買って読んでみました。http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/8335
『十字架嫌悪シンドローム』というような病気が本当にあるのでしょうかね?あっても不思議はないようなきがしますが。
この小説の紹介文に、
「十字架嫌悪」という言葉は著者の造語のようだが、十字架刑という非常にむごたらしいイエスの死に方に対して、キリスト教以外の諸宗教や日本人一般が持つ潜在的な負のイメージを的確に表現しており、それが一体何なのか好奇心をかきたてる。
というのがありました。
確かに、十字架に架かって死んだイエスは、日本人にはなかなか受け入れにくいと思います。井上神父の著作の中で、この十字架に対する日本人のイメージに関するものがあれば、紹介していただければ嬉しいのですが。
よろしくお願いします。

#- | URL
2007/04/05 02:53 | edit

コメントありがとうございます。
すぐに思いつくのは、拙著「心の琴線に触れるイエス」でも取り上げました佐古氏との対談「パウロを語る」です。
他にも諸処に、十字架に触れて記述はあると思いますが。

平田 #oBO5MkqQ | URL
2007/04/05 10:19 | edit

分りました。読んでみます。

#- | URL
2007/04/05 14:16 | edit

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