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7 キリストに出会う  

復活のキリストが、無心に咲く花の姿をとおして、朝日に輝く朝露の姿をとおして、またさよならを告げる愛する人の死の床での瞳をとおして、己れを顕現し、体験させるということも充分ありうることだと私は考えています。生きとし生けるもの、すべて永遠の生命-場との感応依存の関係にある限り、そこには復活したキリストの働きがあるはずだからです。(『日本とイエスの顔』第六章 キリストの生命体)

 この章は前段で、神父自らが邂逅した孤独な老人や死にゆく病者を前に、「所詮人間は人間に何もしてあげることができないのだろうかと思い悩んだとき、少しずつ、なぜイエスが十字架で侮辱と血まみれのうちに一人亡くなったのかが私にもわかるような気がしたのでした」と語り、「完全に神の愛にとらえられていたイエスが、あのみすぼらしい死を引き受けたことに、何か深い意味があったように思われてくるのでした」と、十字架の意味を述べたのち、復活の意味へと及んでいきます。

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