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南無の心に生きる  

"<機械をなおすように人間のからだを扱う>
近代科学は分析と総合の方法で、人間と自然を切り離し、さらに人間を心と体に切り離した。そのとき心の問題が落とされた。今それを取り上げなければならない。
病気を抱え、そのため苦しみ、寂しくなったり悲しくなったり孤独を感じたりする人間そのものが問題にされなければならない。
" 10
"<人間中心の世界観が生まれる>
人間と自然を切り離す→人間の欲求の対象→利用・支配の構造(→闘争の構造→公害のしっぺ返し)
→人間中心主義=元来キリスト教の発想ではない;ロマ書8章には自然との連帯感=いえす・パウロにはすべては人間のため、という考えは無い。
神・人間・自然を切り離して、人間に自然を従わせているうちに、神を忘れた=神の座についたのが西欧近代。
「アダムとエバ」の話はこの人間の[傲慢=罪(余白補足)]を象徴する。
" 13
"<神の座につこうとする人間>
パウロが言う「罪」とは、自分で自分の義を立てる、即ち人間が神の座につくこと。
技術が可能でも、人間にはやってもいいことと悪いことがある。
" 16
"<大いなる生命に生かされている>
分離と闘争の必然性。
「平和とは、秩序の静けさ」(アウグスティヌス)→区別も必要
区別=差別をしない、という近代思想の問題。
それぞれの命を生きながら、全体の大きな命に生かされている、という発想が現代は抜け落ちている。
自己実現と自我実現はちがう。
" 18
"まことの自己実現とは何か。
パウロの宗教体験を追う:自我と自己。" 28
自我主体的生き方:ファリサイ派パウロ:もっとも熱心なファリサイ派だった。 30
"モーセ律法を遵守するファリサイ派
弱さ・痛み・悲愛。自我の肥大化" 32
"回心前のパウロの祈り
自我主張・自我肥大・自我絶対化・自我肯定・自我中心から自己実現へ。" 34
"神中心の生き方へと転換
" 36
"自我中心の立場より自己実現の立場へ
自我中心の立場が崩れる:大いなる生命に包まれていく過程。" 36
"大いなる生命をキリストとしてとらえる
行動の主体の転換" 38
"イエスに捕らえられている自分
正法眼蔵:この生死すなわち仏のいのち:南無阿弥陀仏が私において往生する。自我との緊張関係:自我肯定と自己実現との緊張関係のうちに自己実現は深まる" 42
ステファノの殉教とパウロの回心:大いなる生命。理性より無意識。面授嗣法=師に出会う。 46
"イエスの悲愛(アガペー)のまなざし
復活:キリスト顕現物語:象徴的意味:赦し。" 47
"精神的危機をのりこえて
パウロ・ステファノ" 51
"パウロにとっての自己実現の境地
キリストの体の部分であることを自覚する" 54
"生きとし生けるものの存在根拠はいずこに
アリストテレスの実体概念:自己実現・自我肥大:創造論の解釈。" 56
大いなる生命の自己実現:井筒俊彦比較。老いの感謝 61
老いをゆたかに生きる:青春時代の心象風景:老いるということ:世俗の価値を脱いでしまうと:意味のない苦しみには耐えられない=フランクル:もっと大きなものの中に自分が見えてくる=コペルニクス転回:大自然の生命にふれた芭蕉の心:キリストの生命に生かされて一つ=相対化:生活と人生の次元のちがい=遠藤:大自然の秋の風と良寛:グッと握っている自我をフワッと放す=テープ同様 81
現代のキリスト道を求めて:本当にこの人は神の子だった=霊性は命の汗・求道性:パウロの回心=ステファノ:ローマ百人隊長:イエスを裏切る弟子たち=福音書はイエスのゆるしのまなざしによる人々の回心の物語、悲愛の目覚めの物語。ユダもゆるされる。宗教体験と芸術体験、深層意識から表層意識へ物語表現。 92
旧約の精神を否定する:木に吊された者。食事はゆるし。ステファノのゆるしのまなざし=十字架のイエスのまなざし=食事のイエスのまなざし=御父のまなざしの体現→旧約精神の否定・超克 95
マグダラのマリアをゆるすイエスのまなざし:学問知識はイエスのまなざし理解に役立つ。聖霊の同時性。女性の弟子。裏切り 自己嫌悪 申しわけない ヨハネ20.15~17 ゆるしのまなざし 97
復活したイエスのゆるしのまなざし:トマス=ペトロ=パウロ=百人隊長の回心=相手をまず受け入れる。エマオの旅人:ご自身が近づく:最後の晩餐のゆるしのまなざしへの気づきが、弟子たちの回心と悲愛への目覚めを生んだ。ヨハネ20 ルカ24 107
イエスとファリサイ派との対立:徴税人:マルコ2 114
義とされた徴税人の祈り:悲愛=人間の哀しみを映し取る心→ゆるし ザアカイ 罪深い女  118
姦淫で捕らえられた女の物語: ルカ15 迷った一匹の羊を探し求める羊飼い    放蕩息子を迎える父 微笑むイエス  122
アッバへの信頼: エレミアス パテル アッバという言葉にキリスト者の求道性は尽きる ローマ8 テレジア ただ一つの道 まどろむ 自己放棄もない  126
神の働きの場として人生が見えてくる:キリストの体 アッバの働きのなかに自分が見えてくる=日本人の心情でとらえたイエスの福音 129
旧約的キリスト教から福音的真のキリスト教への脱皮を目指して:聖戦とは: 同害復讐法 軍神ヤーウェ イエスの教えは旧約聖書の教えの否定と超克、ユダヤ教の否定と超克の上にこそ成り立っている。 132
イエスの教えに聖戦の思想はない: 134
母性原理の強い神: 義認ぼこりパウロ主義 対機説法  138
聖戦についての誤解: 140
一冊の本に旧約と新約が:田川健三 ユダヤ戦役  146
福音的キリスト教への回帰:黄昏の日本キリスト教会を救うために 147
生きとし生けるもの、在りとし在るものの祈り:風の家の祈りは福音的か:人間中心主義・知性主義の西欧キリスト教 148
旧約聖書の人間中心的な考え:知性をもって万物支配のギリシャ精神が旧約聖書で正統化→西欧キリスト教世界に浸透。イエスには人間中心主義はない。 152
パウロの自然観:被造物クティシス うめくステナゾー 風プネウマ聖霊・御神風おみかぜ  156
アッバという祈りの呼びかけ:パウロ 158
万物同根:共にうめきスステナゾー 万物同キリスト根 もののあはれ  164
イエスの自然観:ルカ12の私訳 詩 170
南無アッバに生きる:現在の私の心境:童謡 172
聖テレジアの言葉に救われる:道徳主義 174
生きとし生けるものは神の国において一つ:トマス哲学の主知主義 西欧の個の文化 人間中心主義 メルシュ ロスキ キリストの体 キリスト=神の国 178
間違っていた日本における宣教の方法:ロスキ 神聖なる闇 日本での確信 179
イエスのとらえかた:亀井勝一郎「中世の生死と宗教観 和辻哲郎 神聖な無 キリストの体と無 沈黙 についてとを知る  184
イエスの祈りはつねにアッバではじまっていた:エレミアス 東洋的無=キリストのからだ=アッバで日本とイエスの顔 パウロの宣教論参考に 188
外国人が救われるためには:キリスト教はパンエンティズム汎在神論 神には存在と働きの区別はない  190
イエスのまなざしと弟子たちの回心:ずるさ 194
旧約の否定とイエスの福音:1986年知恩院にて風の家決意  195
南無アッバの祈り: 200
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