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第2部(16)実存をかけて聖書を読む3.求道者として読む  

このような状況のなかで、井上神父は新約聖書(福音書)について、「しかし、自分がイエス様に従って一生を生きようというのだったら、こうかもしれないし、ああかもしれない、そうでないかもしれないでは、生きられない」、つまり、<あれもこれも>の「学者としての読み方」から<あれかこれか>の「求道者としての読み方」へ
――「論文を書く」ためでなく「自分の生涯を生きる」――主体的実存的な読みを改めて重視していくことになります。


そのきっかけになったのが遠藤周作氏の『沈黙』であると、神父は言います。テレジアの示したような、アッバと呼べる神に全幅の信頼を寄せて生きる
――のちに「南無アッバ」としてけつじょう決定する信仰、祈りは、この時点では神父自身のなかでも、まだ判然とはしていなかった
――二〇〇六年九月三〇日のアッバ・ミサで神父は、「〝南無アッバ〟の岸辺に流れ着いたのは、一九九九年夏頃のことでした」と語っています。

しかし、『沈黙』の発表とともに教会に起こった混乱のなかで、〝このまま、曖昧なままにしてはいけない。自分も納得でき、人にも説明できるようなものにしなければならない〝と強く思うようになります。

それから、もっと「聖書を真剣に読み直すようになった」というのです。

この間の経過をもう少しくわしく見てみましょう。

テレジアの歩んだ道、霊性を慕ってフランスに渡った神父は、ヨーロッパ文化の壁にぶつかり、日本人の感性で受け入れられるイエスの福音を求めて帰国します。

そして一九六〇年、司祭に叙階され、世田谷教会を経て六二年から洗足教会の助任司祭になったとき、亀井勝一郎の『日本人の精神史研究』によって法然に邂逅します。

その後、六四年に真正会館に移り、司祭生活のなかで「もっとも大きな精神的危機に直面」し、あの「法然上人の姿に、同じ『道を求める人間』として心惹かれるようになった」と語っています(『余白の旅』「芽生え」参照)。


翌六五年には『沈黙』が発表され、その「てんやわんや」の反響のなかで、六六年、豊田教会に移ります。

ここで「戦友」である遠藤氏の『沈黙』を熟読するわけですが、それは、本稿第一部(八)「道徳主義をこえて」で触れた、「お風呂屋のおばさん」や「悩める日本の信者や求道者」を目の前にしてのことであったということをも忘れてはならないでしょう。


こうみてきますと、テレジアとの邂逅から法然を経て、最終的に現在の「南無アッバ」の境地――井上神父自らは「流され着いた岸辺」という――への道のりは、紆余曲折はあるものの間違いなく一本であったということがわかります。

それはたとえば、修道士時代、フランスに残るか帰国するか、<あれかこれか>の選択に迫られた。

そしてその時点では明確に自覚しなかったものの、のちにアッバ神学への道に導かれたという経過をも含めてのことです。

また、帰国してからも、『沈黙』をはじめ自他の様々な現実問題の渦中にあって、アッバ神学へと機が熟していったのだと思うのです。

右の座談で、テレジアを経た法然との出会いが、井上神父をして「変化ではなく確信」であると言わしめたのは、こうした経過の中での神父の心情を裏づけるものといえるでしょう。


したがって、『沈黙』以後の「聖書の読み直し」とは、自ずと「学者としての読み方」より、現実問題を目の前にした「求道者としての読み方」を重視することになるわけです。
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