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求道俳句会誌「余白の風」第130号  

2007年1月号
Copyright © 2005 余白こと平田栄一, All rights reserved.

本誌(1990年創刊)サイトは俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。

毎月発行しています。どなたでもご自由に投稿・感想をお寄せください。(採否主宰一任)

投稿先:掲示板 ホームページ「今を生きることば」

<目次>
主宰作品:平田栄一
アンソロジー井上洋治神父の名言~8
求道詩歌会員作品616



主宰作品:平田栄一
2007年1月発表作品

「層雲」「大江」欄・和久田選5句

ようやく覗いた青空ですぐ暮れちまう
  
人ひと日の労苦はある駅前の居酒屋

小さな仕事の実りうれしく手酌でやる

嫌なことは聞きたくないラジオかけ放つ

結論出ないまま秒針なめらかに回る


「層雲自由律」第87号「蒼海集」欄6句

棺桶の底抜けて大海に浸かる

秋影あいまいに蝶が飛び立つ

暮れ残る欅の根元ぐるり虫の音

生協の秋の灯眩しい妻の喪服

眠られぬ夜の闇へ手を合わす

昼から少し陰り弁当買いに出た街が静か


 同「創作工房」欄6句

次々家事こなす妻の退職後の幸福

音もなく降られ秋思つのるばかり

水田きのうの雨を孕み豊穣の予感

非公開ブログに日記書く老父の秋

大樹枯れてなお動かぬ信を持つ

昼寝覚め虫の居所に戸惑う

――――――――――――
平田栄一の新刊 ぜひご注文ください!

『心の琴線に触れるイエス』(聖母文庫)
-井上神父の言葉に出会う 06年12月発行 525円(税込)

*イエスとともに、アッバの風に己を委せきって生きる――日本人求道者のためのキリスト教――井上洋治神父に長年師事してきた著者の体験にもとづく格好の井上神学入門書。

○お求めは、聖母の騎士社、お近くの書店・インターネット書店でお求めになれます。

・また、著者サイン本直送をご希望の方は、平田までご連絡ください(その場合は郵送料が別途かかります。)

アンソロジー井上洋治神父の名言~8

5〝日本語〟になった聖書

神はまずパパなのだ。私にとっても、そしてあなたがたにとっても。
それが信じられるようになるためには、あなたがたは、どんなに苦しくとも悲しくとも、またどんなに現実が不合理に見えようとも、勇気をだし、心を改め(マルコ1:15)、

知恵ある者のように振舞わず(マタイ11:25)、

小賢しい人間のさかしらを捨て、ただひたすら神の前に手を合わせ頭を下げねばならぬ(ルカ18:10-14)。
・・・・
小さな己れにかかずらうことを勇気をもってやめ、幼子の心、愚かな者の心に立ち返って日々の十字架を背負い、私について来なさい。大丈夫だ。私といっしょにいるかぎり、その日々の労苦と十字架は必ず軽くなる(マタイ11:29、30)。

(『日本とイエスの顔』第四章 イエスの神・アバ(父よ))


 日本キリスト教史上における井上神父の功績のひとつが、これまでの日本の神学者・聖職者の著作には見られなかったような、思い切った、現代日本語による聖書敷衍訳、あるいは意訳です。

そして、この敷衍訳の比重は、のちの著作になるほど、その比重を増し、また日本語として、こなれていきます。そのまとまった形での試みがこの章に見られます。

6 任せきることの意味

イエスがいうように、人の命もまた目に見えない、対象化できないプネウマ(霊)によって生まれ、支えられている命であれば、
己れにこだわってプネウマ(霊)の息吹きにさからってみても、そこには焦燥と不安と不和の人生しかうまれてはこないでしょう。

(『日本とイエスの顔』第五章 神の国・永遠の生命)


 神父はこの章で、良寛の愛唱していた「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」を例に出し、紅葉が大自然の生命に己れを任せ切って散っていく様を、良寛の生涯と類比しています。

そして、右の文に続けて、「プネウマ(霊)の大きな流れに己れを任せきった、自然な自由なすがすがしい人の命にふれたとき、私たちはその命の奥に秘められたプネウマ(霊)の流れに気づくことができる」として、イエスの生き方を示唆しています。

7 キリストに出会う

復活のキリストが、無心に咲く花の姿をとおして、朝日に輝く朝露の姿をとおして、またさよならを告げる愛する人の死の床での瞳をとおして、己れを顕現し、体験させるということも充分ありうることだと私は考えています。

生きとし生けるもの、すべて永遠の生命-場との感応依存の関係にある限り、そこには復活したキリストの働きがあるはずだからです。

(『日本とイエスの顔』第六章 キリストの生命体)


 この章は前段で、神父自らが邂逅した孤独な老人や死にゆく病者を前に、「所詮人間は人間に何もしてあげることができないのだろうかと思い悩んだとき、
少しずつ、なぜイエスが十字架で侮辱と血まみれのうちに一人亡くなったのかが私にもわかるような気がしたのでした」と語り、
「完全に神の愛にとらえられていたイエスが、あのみすぼらしい死を引き受けたことに、何か深い意味があったように思われてくるのでした」と、十字架の意味を述べたのち、復活の意味へと及んでいきます。

8 悲愛――共苦の心

もし〝悲〟という字が、本来は人生の苦にたいする呻きを意味し、共に苦しむおもいやりを意味するものであれば、アガペーは悲愛とでも訳すのがいちばんふさわしいと思います。

イエスの孤独と苦悩と裏切りに耐えた十字架の死は、まさにこの悲愛のもっとも崇高な姿をあらわしているといえるでしょう。

(『日本とイエスの顔』第六章 キリストの生命体)


 井上神父は、日本人の感性にうったえるために、キリスト教用語として一般に流布されている言葉を検討し、必要に応じて訳し直しています。

その典型的な例が、この「悲愛」という言葉です。一般には「愛」と訳されていたギリシャ語「アガペー」を、仏教にいう慈悲の「悲」に「共に」という意味を見出して命名したものです。

求道詩歌会員作品616
[615] あけましておめでとうございます:

初詣何かに向かって何か祈る  万梨  

昨年はありがとうございます。サイン本、本当にうれしいです!「南無アッバ」の文字に心が躍りました。表紙も素敵ですね。
今年もよろしくお願いします。

RE:栄一 おめでとうございます。
サイン本、喜んで頂けて、うれしいです。
12月のアッバミサのとき、Y先生が、「さっそく教え子に」、といって、にこにこしながら持って帰られましたよ。

いい先生に出会えてよかったですねー♪
今年もよろしくお願いします。

[613] 陽だまり:つぼみ
お日様は/誰の所にも/優しい光と/温かさをくれる/冬の陽だまりは/
誰からも愛される/小鳥達も/陽だまりに来て遊ぶ/陽だまりに咲く花は優しい/どんなに辛くても/楽しませてくれるよ/
今小鳥が鳴いたピーピーピー/暖かい所においで/気持ちが良いよ/美しい景色も見えるよ/

のんびりと/芝にねころんで/空をあおげば/愛の光は貴方を包む/冬のお日様は優しい/笑顔がこぼれる、/庭には赤い寒椿/
今日のこの時を大切に大切に/生きてゆこうね/2度と来ないこの時を/大切に生きてゆこうね/笑顔を忘れずに/

思いやりの心は幸せにつながると言う/いつもいつでも見ていてくださる/愛の光の南無アッパ


RE:栄一  ちょうど今、アッバミサの前奏曲を、編集していました。
最初に小鳥の声が入るのです。

たしかにCDからの音なのですが、音源はあくまで、自然から。
どんなに編集しても、自然は自然なんですねー。

そんなことを思いながら、この詩に出会って、、、感謝です。
今年もよろしく、お願いいたします。

[611] ありがとうございます

師の右に 座して仕える 風の家  俊

先日のミサは、ありがとうございます。
所で、話題に上がりましたネットの絵本ですけど、ここで見れます。かなり稚拙ですけど。

http://www.interone.jp/~toshif7/yoake/yoake.htm
他にも作品はありますが、一つでもう十分だと思います。

RE:栄一  今年もお世話になります。
アッバミサ、プロテスタントや未信者の方にもどんどん来ていただくと、うれしいです。

絵本サイト面白く拝見しました。

[609] あけまして おめでとうございます!
昨年はこちらのホームで投稿などさせていただきありがとうございますした。今年もよろしくお願いいたします!

新年の挨拶に見る感謝かな  ヨハンナ

あけましておめでとう!とは・・・
無事に新年を迎えることができたことに感謝する言葉ですね!

RE:栄一 今年もよろしく、お願いします。
細く長くいきたいと思っています。
いつでも、お気が向きましたら、なんでもお書きください。

[608]
冬木立余白の風のありとのみ  淡丘

強霜や天蓋ほどのかがやきに

冬紅葉散りて詩人の容姿とは

寒林になに美しき羽根拾ふ

大樹あり桜紅葉を散きつめて


RE:栄一 淡丘さま、今年も健吟期待しております。
小川双々子先生のカトリック俳句が、評論などでも取り上げられていますね。

[606] 年越し
主の庭に
 我が身を委ね
   無の眠り
 背中に感ず
   父の温もり   俊


もう、年越しの時刻ですね。
今年は、いろいろとお世話になりました。
本当に感謝です。

来年は、mixiで伝道の場所を広げてゆきたいと思います。よろしくお願いいたします。

RE:栄一 ごあいさつ遅れました。
今年もよろしくお願いします。
毎回、アッバミサでお会いできて、うれしいです。

今年から毎月になりますが、ご無理なければいらしてください。
mixi伝道ですかー、よい実りがあることを、お祈りします。
---アッバ、アッバ、南無アッバ!---

[604] おひさしぶりです。

風邪をひき一人熱酒寒さ染む  こう

余白さんおひさしぶりです。こうです。
今年ももう終わりですね。

私は、いいことが何もなかった一年でした。
ウイスキーのお湯割の温かさが、有難いですが、切なくもあります(^_^;

RE:栄一 ほいほい、KOUさんかな?!
超おひさですねー、お元気でしたか?

風邪をひかれましたかー。疲れが出てくる時期ですよね。お大事にしてください。
気が向いたら、また、いつでもご投稿ください。
お待ちしておりまする。

[602]
生誕を知る羊飼い星の夜  末子

博士等を導く星よ空仰ぐ

涙持てハレルヤ唄うクリスマス

原罪を捨て切れぬ身に主の瞳

みどり児を与えし御父御心


RE:栄一 待降節最終週ですね。
典礼暦では、「降誕前8日間」として、ルカ1章が読まれています。
年末の仕事が、そろそろ一段落し、先日は告解にも行って来ました。

[600]
おちば こころもはこう  白雲子

青空にすなおにすなおにそまる

寒い影、みちふむ


今年もあとわずか、よいクリスマス、よい正月を迎えたいものです。

RE:栄一 大兄の句、山頭火大賞候補選にたくさん入っていましたね。
ずっと続けてきた大兄の短律が実を結びつつありますね。

[593] ①
冬の児等団子になってすべり台  末子

尾を上げて水鳥池の餌をさがす

冬野菜実り捨てるも農夫の手

柊の花香り来て杖とめる

熱燗に饒舌になる夫を見つ

十二月恵みの日々の有難さ

讃美する生誕の日来りませ


RE:栄一 冬の情景、年末ともなれば、1年間を振り返る季節。それにしても、想いの残るのは、
政治・世相などより、家族や友人との、ちょっとした語らいやワンショットではないでしょうか。

[598] ②:末子
不思議な小道を通り抜け/駅前通りは賑かに//花屋 ケーキ屋 洋服屋/横目に眺めて歩きます//ずんずん行くと古い寺/花の寺とは云うけれど/

かっぱ寺で通ります/俳聖かっぱに哲学者/ごろ寝かっぱに琵琶法師/酪町かっぱの杯は/椿の花に捧げてる/椿の名前は黒椿/昔の昔この下に/

悲しい遊女が居た様な//トントン石段降りて来て/春になったら又来ます/貝母の花の咲く頃に


RE:栄一 なにやら懐かしい風景ですね。
固有名詞がでてこなくても、だれもがそれぞれに、こうした心象風景をもっているのではないでしょうか。

私などは、浅草界隈を思い起こします。

[594] お久しぶりです:万梨
曇りガラスに
誰かが描いた
十字架


お久しぶりです。久しぶりなので、太字の仕方を忘れてしまいました。すみません。
いつの間にか冬になっていました。

最近はちょっとしたことでも本当に幸せです。
満たされていると感じます。

RE:栄一 お久しぶりですね。青春の一時期に、イエスの十字架を思えるのは、すばらしいですね。

今から30年前の、今の貴女と同じ頃は、とても思いもよらなかったことに、人生をかけている自分が、不思議です。

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プリント版ご希望の方は、メールください。
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