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日本人の心に根ざすキリストの道  

求道俳句会誌「余白の風」第128号

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2006年11月号

Copyright © 2005 余白こと平田栄一, All rights reserved.

本誌(1990年創刊)サイトは俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。

毎月発行しています。

どなたでもご自由に投稿・感想をお寄せください。(採否主宰一任)

投稿先:掲示板 ホームページ「今を生きることば」

<目次>
主宰作品:平田栄一
山根道公氏執筆「日本人の心に根ざすキリストの道を求めて」より
新堀邦司氏執筆「キリスト教俳句の系譜」より
求道詩歌会員作品551
自由律で読む福音書:栄一

主宰作品:平田栄一
層雲一〇月号大江欄自選4句

徹夜明けの頭芯そそられる

飛行機雲溶かして夕焼ける

死のまぎわ咲けるだけ咲く

鼻筋通って筋の通らぬ話


「豈」第四三号発表作品
 「層雲」復帰二十句改

一陣の風以上の風が春を引っ張る

無口といって不機嫌なわけでもない目借時

無駄ばかりではない半生仕切り直しの春一番

血は愛より固い絆雌が雄を喰う

嘘ついてこんなに眠い夢の逆襲

昼夜逆転の子を叱り今日もはっきりしない天気

すっかり日が伸びて鍵穴に鍵するりと入る

どこにも落とし所のない話一番星出てきた

黄梅白梅桃の花いずれ良いこともあるさ

殊更寒い冬が過ぎて春が早そう

路地行く影につかず離れずついてくる猫で

この身たまさかと思えば何事も起こるまま

鶯枝から枝へ花こぼし告解の長い列

深山人影霧に溶けやがて沸き上がる声明

勤め上げた妻へ贈る花とて断然赤いのを買う

週末は早寝の枕もとラジオ小さくかけ放つ

春夕暮れ家々のアンテナが十字架

夏野にひとり思考の襞深くする

よく働きよく寝た雀の朝がうれしい

気がかり、それはそれとして初金のミサ


先日、いままでの句を整理してみました。結社・同人誌所属は次の通りです。

旧「層雲」1986.8~92.8(6年)
「層雲自由律」92.9~01.8(9年)
「豈」98.7~(8年)
「海程」02.1~02.9(9ヶ月)
「紫」02.10~05.12(3年)
新「層雲」復帰06.4~

こうしてみますと、旧層雲の方たちとは、あの不幸な分裂があった92.8以来ですから、14年ぶりということになりましょうか。

しかし私自身としては、自由律からおよそ離れていたのは、01.8以来ですから、5年弱です。ずいぶん寄り道したなあ、とも思いますが、今はこの間、あちこち見てきて、勉強にもなったなあ、という気持ちでいます。

山根道公氏執筆「日本人の心に根ざすキリストの道を求めて」より
-平田栄一著『俳句キリスト教-求道俳句をめぐる心の旅』書評-

俳句キリスト教という本書の題は実にユニークである。

例えば西洋美術で或いは西洋音楽でキリスト教というのであれば珍しくない。

しかし、西洋文化とは対極の最も日本的感性に根ざした日本の伝統的文芸を代表する俳句でキリスト教を語るという点に、本書の他に類を見ない特色がある。

本書は、著者の主宰誌「余白の風」をはじめ、「豈」「紫」「層雲自由律」などの俳誌に発表した句評を、聖書、神、マリアイエス、使徒、天国、十字架、復活、教会、祈り、信頼、日本人とキリスト教といった項目にまとめ、加筆したものである。

中村草田男ほか有名無名の九十余句の俳句をとりあげ、その句評によってそこにあらわれた日本的感性とキリスト教との関わりを探る本書は、句評の域を越えて、カトリック俳人としてキリストの道を求める著者の生の軌跡が言葉となった求道エッセイである。

著者は、すでに四冊の詩的短文によるエッセイ集を刊行しており、処女エッセイ集『今を生きることば』には、三浦綾子が「常に祈り、聖書に聴く姿勢から生み出された珠玉の人生観!凝縮された思索!より深く生を生きる道が、ここにさやかに示されている」との言葉を贈るほどの、求道精神に裏打されたエッセイストでもある。

この魅力は本書にも遺憾なく発揮されていよう。

ところで、著者は自身が
「俳句に接したときの無条件の和みと、キリスト教に対する構え、この対照的な感覚はどこからくるのか、わからないままに『聖書』と『山頭火句集』を交互に読み、また祈る気持ちで自らも実作するようになりました。

……欧米的キリスト教を無意識に第一と思い込んでいた自分に問題があることに、ようやく気づくようになった」(「『俳句でキリスト教』出版にあたって」『風』七〇号)

と語っているが、この俳句的感覚とキリスト教との距離感への問題意識は、遠藤周作が文学において、井上洋治神父が神学において追求してきた「日本人とキリスト教」というテーマと直結するもので、それに気づいた著者は「はじめに」の中で「俳句によってこのテーマを追求することが、わたしのライフワークと考えるようになった」と述べている。

私は以前、キリスト教詩人八木重吉の詩について、人間と自然を峻別するキリスト教世界からはみ出しているとの批判に対して、井上神学に教えられ、八木重吉の詩を、西洋キリスト教の世界からはみ出しているのであって、日本人の心に根ざしたキリストの道を自ずと生きている姿だと論じた。

遠藤も、自分の書く作品が従来の神学に背くことに負い目を感じていたのが、井上神父の著書の神学的理論が自分の作品の裏付けとなることで、強い支えとなったと語っている。

本書の著者も、井上神父主宰の「風の家」の機関誌『風』に「井上神父の言葉に出会う」と題した連載をするほどに井上神学を深く吸収しており、その結実が日本人の心に根ざすキリストの道を、俳句で語る本書である。

西洋キリスト教との距離感に苦悩してフランスから帰国した遠藤と井上神父が、日本人の心に根ざしたキリスト教の開拓をめざし、自分たちは次世代の踏石となろうと決意を語り、共に歩んで半世紀、遠藤と井上神父が願ったように、二人が切り拓き、置いた踏石を確かに踏みしめ、日本人の心に根ざすキリストの道を求めて旅する者の姿が本書には鮮やかに示されているのである。

(以上『-俳句空間-豈』第43号2006.10より)

新堀邦司氏執筆「キリスト教俳句の系譜」より

現在、活躍中の「自由律俳人」は平田栄一である。まずはその作品に目を向けたい。

  晩鐘のように母の小言を聞く

  夕べ鍵穴から預言者が出てゆく

  わが信は銀河を流る戸板なり

  ユダ知るや洗足の夜の帚星

  花咲き継ぎ人生き継ぎて神の業

  癒えぬまま秋夕暮れを主と泣きぬ

  迷いなく御国を目指し鳥渡る


平田栄一は一九五五年(昭和三〇年)に埼玉県に生まれ、慶應義塾大学商学部を卒業。埼玉県蓮田市に住み、県立高校の教諭をしている。

現代俳句協会の会員。

著書は『雨音のなかに--詩的短文の花束集』他多数にのぼる。

近著は『俳句でキリスト教』(サンパウロ)。

平田は青年時代から井上洋治神父の指導を受け、カトリック教徒としての使命感をもって「自由律俳句」の普及を続けている。

「俳句には“物事はひとたび退く(弛緩する)”ことによって完結するという原理が典型的に現れているように思います。」(『雨音のなかに』)

平田には

  沈黙や神の記憶に百合一輪

をはじめとする「有季定型俳句」も見られる。

「自由律」だけにこだわらぬ柔軟性も彼の魅力となっている。

なお、右の句について「井上神父の<復活とは神の記憶に残ること>という言葉があります。

黙しているように見える神も必ず全ての人々の人生を懐に抱いてくださいます」と説明している。

(以上、『講座 日本のキリスト教芸術3 文学』168-9頁より引用)


求道詩歌会員作品551
[549] 空 Name:つぼみ

悲しい時/嬉しい時/青い空が恋しい/空はなにも言わず/白い雲を/浮かべて暖めてくれる/悲しい時/黒い雲から涙を降らす/だけどあの雲の/上には/必ず太陽のまぶしい/青い空がある

[551] RE:栄一
はい。私も、空って大好きなんです。
前にもどこかに書いたのですが、今のような秋の真っ青な空はもちろんのこと、今にも降り出しようなのも、好きなんですよー。

どんなお空も、慰めに満ちているように思うのです。

[548] 愛あれば Name:つぼみ

愛あれば/明るくなれる/愛あれば/笑顔がこぼれる/愛あれば

[550] RE:栄一
ええ、その愛の正体が、わかるようでわからない。
しかし、明らかに感じられるときがある。。。
不思議ですねー。
やはり風=プネウマのようなものなんでしょうね。

[546] 温まったころに Name:いう

我が床へ入れよと枕元の猫

[547] RE栄一
硬い文語と柔らかい情景がミスマッチで、面白い。
うちのタマは、めったに床に入ってきませんねー。
枕元とか、掛け布団の上とかには、よく丸まっていますがね。。。

[544] 毎朝 Name:奈菜
山をおり ふもとのほこらに
 そっと こころあわせて いってきます


毎日、猫の守る祠の前を通って通勤しています☆

[545] RE:栄一
形は二行詩、長さやリズムは、自由律俳句の長律を思わせます。
とても心地よいリズムですね。

また、日本の懐かしい風景を思い起こさせますね、原田泰治の世界のような。。。

[540] 楓 Name:いう
アメリカの手のひら広し楓の葉

雪受けて指先赤く染む楓


[541] RE:栄一
たしかに、地図上もアメリカ大陸という「手のひら」は広いですねー。
「楓」も日本などとは植生が違うのかな?きっと。

HPにある写真
http://plaza.rakuten.co.jp/zazenneko/diary/200610120000/
とか見る限りでは、違いがよくわからないのですが。。。

[536] 雪の朝 Name:いう

雪は白とどろく雲を母として

そろそろと車行き交う雪の朝


例年よりずっと早い雪に驚いています。
楓はオレンジから黄色に変わり始めたばかり、葉が落ちてしまうのではないかと心配です。
これからが美しいのに。小鳥たちもこれは大変と、忙しく餌箱に通ってきています。

[537] RE:栄一
それはまた、すごいスピードですね。
それもまた、アメリカならでは急激な変化なのでしょうか?
こちらは、まだ、昨日暑かったり今日涼しかったり、まこと徐々に、深い秋に向っています。

[533] 晩夏光 Name:和文(わぶん)

生も死もみ手のうちなる白夜かな

鰊場の空き地灯して踊りけり

震災と戦災慰霊碑蝉時雨

クナシリのゴメ逆光に舞ふ晩夏

晩夏光寺に地獄図極楽図

絵硝子の失楽園や晩夏光

聖卓の聖杯(チャリス)に溜まる晩夏光

満月や会津八一の日吉館


[535] RE:栄一
和文さん、初投稿ありがとうございます。
ここでは、淡丘さんや邦司さんのように、ベテラン俳人のお一人としてお迎えし、私たちも学ばせていただきます。
御句「白夜」「鰊場」「クナシリ」等々、私たちがする想像ではなく、現実を目の前にして詠われているリアリティに圧倒されました。
現地に行かずとも居合わせたような、得した気分を味わいました。

[532] 初雪 Name:いう
ちらら初雪とくすくす一回転

[534] RE:栄一
「ちらら」「くすくす」の擬態語が効いていますねー♪
何より自由律で、ストレートに詠まれていることに、感動しました。

[529] 祈る心 Name:つぼみ
ロザリオに愛しきマリア秋ふけて

散歩して見つめる秋空南無アッバ


[524] 十六夜 Name:末子
黒雲を払いて十六夜月出ずる

十六夜に星の数増す主の御技

息とめて月の雫を手に受くる

月光をせめて忘れじ去る日まで

ああ神よ月の清さを示されし


[526] RE:栄一
俳句は、一句一句は短くても、こうした連作になると、俄然強さを持ってきます。
散文や多行詩にはない、鮮明さが出ていますね。

[523] 今朝の夢は Name:いう
失うがいやと涙の赤のまま

[525] RE:栄一
夢は、現実と空想とが織まざる不思議な様相を呈しますね。
それを無理に解釈をせずに、あえてそのまま提示すると、こうした句になるのかもしれません。

[520] ご無沙汰していました Name:奈菜
何年かぶりに投稿します☆

夢にみた 友を想って 南無アッバ

秋ですね。読書の秋にしたいです♪

[522] RE:栄一
おひさしぶりで、うれしいです!
いつもサイトではお世話になります。
秋は積んでおいた本を片っ端から読みたくなります。

[519] 今日も側に Name:まごころ
主はとわに まもりくださる神無月

日本中の八百万の神々はこの月 出張中だそうですが 唯一のかみさまが 常に側で見守ってくださる事に感謝します。
>516
ご指導ありがとうございます。一つ おりこうになりました。

[521] RE:栄一
はい、八百万の神様はみんな出雲に行かれるので、出雲では神様が集まるので、「神有月」なんですね。にぎやかそう(笑)。
アッバなる神は、いつでもどこでも、ってことですね。

[517] みれん Name:つぼみ
コスモスに未練悲しく冬支度

青空に高く綿雲美しく

コウロギの泣く声かなし長き夜


[518] RE:栄一
虫や自然が人間と喜怒哀楽を共にしてくれる、日本人の感性は、どうしてもそこに帰着するようです。

[513] あぁ 求道2 Name:まごころ
中秋や 明日も欠けぬと南無アッバ

せめてもの 僕の祈りです。

[515] RE:栄一
自分のできることをすればいいのだと思います。
ひとそれぞれ、与えられた分を果たすこと。そういう祈りとして、受けとりました。

[512] あぁ 求道 Name:まごころ
満る月 明日は欠けの始まりか

満ちては欠ける 自分の心の儚さ愚かさ。何度も十字架を 繰り返し背負う愚かな私。それでも見捨てない主イエスさま ありがとうございます。

[514] RE:栄一
くり返し失敗を重ねても、イエス様はけっして見捨てない。どんな放蕩息子でも、何度でも励ましてくださるのですね。

[511] 秋風強し Name:栄一
祭笛どこからか流れ来るミサは病者の塗油

今日のミサ中、病者の塗油があり、お年寄りを中心に、何人かの信者が心安らかに秘跡を受けていました。こちらの心も和みます。

[508] 中秋 Name:いう
映し取る想い満ち満つ月夜かな

満月とも知らず、外に出たのは朝ミサへ出るための朝6時15分。目の前に驚くような大きさの月が。
こちら、日の出はもう7時過ぎですから、6時台はまだ真夜中といった暗さ。その暗さの中、西25度位の高さに、満月はぺかりと浮かんでいるのでした。
東からぐるりと回ってきて、うさぎは逆立ちしています。黄色くて大きくて重そうな満月。今にもするすると落ちていってしまいそうでした。

[510] RE:栄一
「満ち満つ」がポイント。
そういう月を見るときありますよね。色も微妙に変化する。自然が生きている証拠です。

[507] 秋の夕暮れ Name:いう
子猫の寝息数えて秋の日は暮れて

[509] RE:栄一
いうさんの自由律は初めて見るかな?
「~て」「~て」のリズムが心地よいですねー♪

[505] 澄みわたる空へ Name:まごころ
丘の上 高秋見上げ 南無アッバ

こんにちは 栄一さま。 
実は503の句?が 生まれて初めての句です。
俳句に成って居ないのか?それすら解らずの投句です。
ご指導よろしくお願いします。
今回ですが・・どこまでも澄みわたる空に全てを委ねきる人生でありたいとの希望にふとひらめきました。

[506] RE:栄一
ああ、そうだったのですか。大歓迎です。
この句も、澄み切った青空を見上げて、上へ上へ天を仰ぐ清清しさが感じられます。
井上神父が始めた「~南無アッバ」句も、だんだん広まってきてうれしいです。

[503] 終わりは 始まり Name:まごころ
お迎えに 紅の葉篤く 祈り舞い

永遠って何でしょう。
来世って何でしょう。
春に芽吹いて一生懸命咲いた葉が 秋風のお迎えに枝を離れて行きます。
一葉の命は今年(今)限りでも 来年の新たな一葉の芽生えへの始まりなのでしょうか?

[504] RE:栄一
「葉っぱのフレディ」を思い出しました。
なにかと物悲しくなるこの季節、まさに永遠を思うときですね。
死とは何か、生きるとは何か、季節の変化の中でわたしたちが問うと同時に、アッバなる神様も、私たちに問うているようにも思います。
お初かと思います。ありがとうございました。

[501] 霧の濃い朝 Name:いう

霧の濃き薄きを抜けて風が原

朝の霧は重くて、温かかくて、吸い込めば土の香りを移していました。歩くと、その抵抗でむらがあるのがわかります。視界が開けると風の吹く野原でした。ただ風が吹いていました。

[502] RE:栄一
霧も生き物のようですね。この前のアッバミサでも、伊藤幸史神父様が、自然から教えられることのすばらしさを、強調されていました。

[495] 主の平和 Name:佐藤 淡丘
かわたれどき、独り丘の上に登り、太極拳。
その前に、地に跪き。初づ「南無アッバ」と唱えたときの、あの解放感はとても善いものです。
まさに、南無帰依。南無信徒であります。
その後、ゆっくり「主の祈り」を唱えます。それも、旧かな使い(文語調、天にまします・・・・)、どうもこの方が私には合っているように思えるからです(韻律的に)。
それは至福のひとときであります。感謝。

曼珠沙華泣けとばかりに去年の径

どんぐりを踏みてひびけり地の表

鶏頭を指ではさめば走り出す

あさがおの昇りつめたるほどのよさ

いわしぐもころころころと脳天気


[500] RE:栄一
全句、大自然の心音を聞かせるような響きがありますね。
私たちは自然のなかで、自然に抱かれなければ生きられない、という思いを強くします。
いつも、佳句をありがとうございます。

[498] 清い心 Name:つぼみ

もう忘れてしまったか/幼き日のことを/汚れの無い/心はいつも神様を見つめていた/このまま死んだら天国へ行けると思った/傲慢な私だった/川でおぼれた時も/未だ連れて行ってはくれなかった/海で流された乙女でさえ/断られた/ソシテいい叔母ちゃんになってさえ/私は生かされた/もっと世の中を見つめてよくみてみなさい/わがままな私は幸せすぎた/左半分だけ持っていってくれたのでしょうか

[499] RE:栄一
人の寿命も南無アッバ。お委せの心ですね。何かにつけて、思い出さないと、この「南無のこころ」を忘れてしまう私たち。
結句
>左半分だけ持っていってくれたのでしょうか
が、身につまされます。

[496] 再会 Name:俊

再会の 友と並びて 南無アッバ

本日のミサに参加しました。皆様元気そうで安心しました。
お茶会に参加しようと思ったのですが、勝手が分からず、帰宅してしまいました。
次回を楽しみにしております。

[497] RE:栄一
毎度、ばたばたしていて申し訳ありません。
小生のほうは、このところ仕事にかまけておりまして、、、気がついたらミサ当日ということで、大変失礼しました。
あとから、NKさんたちに、俊さんもこられたと聞き、恐縮しております。

ミサ後は、特別なことがないかぎり、近くの「エル」という喫茶店にたむろすることになっております。
これに懲りず、またおいでくだされば幸いです。

[490] 鉦叩き Name:彰夫
初めまして。
九月九日の末子氏の句に「にわか雨鉦叩丈鳴いている」を拝見しました。放哉の「入庵雑記」に「鉦叩き」の記があります。私は「鉦たたき」を聴いたこともありません。私の近所は天皇陵などが多く虫の鳴声は多いのですが、現在では「鉦たたき」は姿を消したようです。土庄の井上氏に尋ねましても土庄でも見られなくなったとのこと。
末子氏はどちの方で聞かれたのでしょうか。
お教えいただければ幸せです。
層雲会員 小堀彰夫

[491] RE:栄一
彰夫様、層雲ではいつもお世話様です。
書き込みありがとうございました。
末子さんは、ネットをやらない方なので、即答は難しいですが、この記事を印刷して、お送りしておくことにしましょう。
今後ともよろしくお願いいたします。
HPも見せていただいています。

[492] RE:マルコ
 末子さんに用事があり、お電話をする機会がありましたので、【鉦叩き】についてちょっと伺ってみました。
彼女の住む神奈川県の丹沢のふもと一帯は、「緑がゆたかで夏には蛍が飛び交い、虫の他蝶やトンボなども多く、鉦叩きは秋、虫の鳴き声の中の一つとしてごく普通に聴こえますよ」とのことでした。
 また私の住む横浜の隣町、大和に住む年配の方で、家よりずうっと広~いお庭をお持ちで、冬は野鳥の餌付けなどもされており、野草や昆虫に詳しい方に尋ねてみたところ、「そう言えば今年はまだ聴いていませんねぇ、でも家の中に入って来てテーブルの上に乗っているのは見たんですよ、鳴かなかったので雌だったのですね。。
鉦叩きというのは普通草むらでは鳴かず、木の上で鳴くんですよ」と話しておられました。
 末子さんからのお返事、往復を考えると4,5日はかかることでしょうから、少し先に彼女達の声をお届けするお節介をさせていただきました。

[494] RE:彰夫
栄一様、マルコ様、有難うございます。
まだ、各地に普通の秋虫として存在するのですね。私がその声を識別する能力がないだけなのでしょう。
私は放哉から自由律に入ったのですが、句はもちろんのこと、その随筆、書簡などにも心を打つものがありますね。現実にはこの鳴声も聞かない方が良いのではないかと思う時もあります。地の中の小坊主が鉦を叩いている、その放哉の心を感じ続けていきたいと思います・・・・・・・・・
本当に有難うございました。

[538] 鉦叩 Name:末子

一つの疑問が小波を/余白の風にありました/めっきり減った鉦たたき/見たいと望む人が居て//俳句の中に鉦たたき/早速メールの質問に/作者は返事に困惑を/メールを持たない私です//考えあぐねて居りました/胸中察した人二人/答に協力下さった/長い手紙を出す私//彰夫様よりお返事が/何とも豪快に歩む道
笑って嬉しくなりました/心が通った喜びに!

            十月十二日夜
[539] RE:栄一
全く面識のない同士が、こうして、一つの言葉、一つの詩句を通して、次々とつながっていく、、、考えてみると素晴らしいことですね。
偶然を導かれるアッバに感謝!

[542] RE:彰夫
< まわり舞台 >
私たち夫婦は結婚してまだ一年ほど/日曜日 私と妻はその喫茶店のドアーを押す/窓の大きな喫茶店/その窓辺の席にいつも上品な老夫婦/私たちは静かに目で挨拶をし合う/妻はアメリカン 私はモカ/やさしいジャズが流れていた//その日も窓辺に老夫婦/突然 老婦人が声をかけてこられた/「ご予定日はいつですか」/そうです 妻は臨月のお腹を抱えていたのです/私はあわてて「来月です」/老婦人は落ち着いた声で/「奥さんのお顔の色もよろしいでし/ きっと丈夫な赤ちゃんが生まれますよ」/不安な時期だったので/私たちはその言葉がうれしかった/その翌月 無事に女児を出産♪//その後 二人の子供に恵まれ/私の転勤などで その喫茶店と長いご無沙汰/二人の子供たちも独立//私たちは再び二人に戻っていた/もう七十歳近い共白髪/毎朝/窓の大きな喫茶店のその窓辺に席をとる/妻はアメリカン 私はモカ
やさしいジャズが流れている//ドアーを押して若い夫婦が入ってくる/奥さんは臨月のお腹をかかえている/妻は静かに声をかけていた/「ご予定日はいつですか」


[543] RE:栄一
末子さんの詩ともマッチして、まさに、人生の見事な「まわり舞台」を見せていただきました。
その時々には不安があっても、後から振り返ると、その場その場で、いろいろな助けが与えられている、、、そして、いずれ立場を逆にする、、、人生の味わいですね。

[487] 中学校の運動会 Name:末子

会長の机にとまる赤とんぼ
秋の風拍手は最後も一番も
運動会鉢巻ききりりと輝く目
総立ちの三年男子のリレー今
綱引きに担任の声身振りして
麦茶出す男子てれてる父母の席
秋晴れや応援合戦華となる
終えてなおエールを交わすいつ迄も
昼食を分け合う嫁と姑かな
来週も運動会に誘われる(小学校)
耳元で菓子のおねだり孫娘
帰り道風船葛そっと摘み
何よりの土産話は孫のこと
落し文虫の姿をまじまじと

[488] RE:栄一
運動会の季節ですね。私の勤務する学校は、定時制で参加者が少なくなり、とうとう何年か前に、体育祭が廃止されてしまいました。
昔ながらの運動会が懐かしいです。

自由律で読む福音書:栄一

必要なことはただ一つ今日は青空に聞く

ルカ10:38-42
イエス様を間にかわされるマルタとマリアの話を読むたび、内容以前に、いつも微笑ましく思います。
この姉妹は、けっして仲の悪い間柄ではなかったのだと思います。
ふたりを見るイエス様のまなざしも、慈しみに満ちていたことでしょう。
イエス様がおっしゃった「必要なものはただ一つ」とは、じっとイエスの「話に聞き入る」ことでした。
その語りかけは、現代の信者にとっては第一に、聖書であり、ミサ(礼拝)かもしれませんが、ひろく日本人ということで考えれば、今日の清々しい秋の青空であり、道端の一輪の草花でもあるのではないでしょうか。

アバの指から紅葉する一本の欅

ルカ11:15-26
社会でも個人でも、悩ましい事が続くと、この世の根本は善なのか、悪なのか、わからなくなってしまうことがある。
この世も自分の人生も、呪われたものに思えてきて、暗い気持ちになる。
そんなとき、この「ベルゼブル論争」を読むと、励まされます。
少なくとも、イエスがこの世に活動し出して以来、どんなに不幸に見えることがあっても、根本にあるアッバの愛は変わらないこと、保証されているということ、そして「神の国はわたしたちのところに来ている」ということに。

アッバアッバ赤ん坊が知る神の御名

ルカ11:5-13
昨日、1万円札をなくしてしまいました。
けっこう自分では管理に気をつけているつもりだったのですが、落としたのか?いや、盗られたのかもしれない。。。
だんだん疑心暗鬼にとりつかれていって、周りの人たちが不気味に思えてしまったり。。。
そういうわけで、昨夜は寝付きが悪くて寝不足。人間(私)は弱いものですね。
でもそんなとき、今日の聖書朗読箇所、「探しなさい。そうすれば、見つかる」という、まさにそのままのアドバイスをいただきました。
そして、「しつように頼めば、必要なものは何でも与えてくださる」ともいいます。
あれこれ思い煩うより、心当たりを探し率直に、「あのお金は大切なんです、よろしくお願いします」と「しつように」祈ろうと思います。
アッバが私にとって本当に必要と判断されれば、お金は戻ってくるでしょう。
そうでなければ、きっともっと「良い物」、私にふさわしい賜物が頂けるのでしょう。

晴れて曇って秋が祈る

ルカ11:1-4
お弟子たちに祈りを教えるイエス様。
ユダヤ教の伝統でも、洗礼者ヨハネが教えたものでもない祈りを、イエス様は教えます。
それは、「アッバ(おとうちゃん)・・・・」から始まる独特な、それまでにない短い祈りでした。
おそらくこの祈りを聞いて、あまりの奇抜さと短さに、お弟子たちは正直、驚き、戸惑ったのではないでしょうか。
しかし、祈りは言葉数ではない、ただただ「アッバ」と呼べる神にすべてをお委せし、信頼することなのだ、これがイエス様が命をかけても伝えたい教えだったのだと思います。
そして現代、井上神父は、このイエスの御心を「南無アッバ」という、さらに短い祈りに凝縮しています。

神の言葉を孕み育てる胎の幸いなり

ルカ11:27-28
マリアを賞賛する群集に対し、イエスは「神の言葉を守ることこそ幸い」と言う。
つまり、アッバへの全幅の信頼に生きなさい--南無アッバ、ということ。

金持ちを慈しむイエスの話秋のミサ

マルコ10:17-30 「金持ちの男」の話。
彼はけっきょく、「財産」を手放すことはできませんでした。
が、イエスは、そんな彼を最初から知っていて、「彼を見つめ、慈しんで」います。
そういえば、イエスの弟子には、サンヘドリンの議員だったアリマタヤのヨセフもいたし、請われれば、ファリサイ派とも食事を共にしています。
貧しい人を差別しない、ということは、「金持ちだから」とい理由だけでも差別しない、という意味を含んでいるのだと思います。

禁煙の禁断症状に耐えている朝の福音

ルカ11:29-32
ヨナの説教を聞いた「ニネベの人々」、ソロモンの知恵を聞こうとした「南の国の女王」以上に、私たちが、神の言葉に聞くものとなりますように。

何の鳥かつがいで飛ぶ日々アバに遣わされ

ルカ10:1-9 聖ルカ福音記者祝日。
この世にあるすべてのものに、それぞれ役割があること、無駄な物は何一つないことを、日々自覚できますように。

つがいの鳥かこう紅葉もアッバの賜物

ルカ11:37-41
この箇所、人の内にある悪いもの--「強欲と悪意」が、同じく自分の「器の中にある物を人に施す」ことによって、「清くなる」という意味にとれます。
それぞれ私たちの中で、人に施せるものとはなんでしょうか?
だれでもが、何かを持っているはずです、仕事の中で、家庭の中で。

アッバ、それに一人一人が気づき、惜しみなく施す勇気をお与えください。

野の花空の鳥に聞くこの国の律法

ルカ11:47-54
律法学者やファリサイ派を厳しく非難するイエス。
「信じる」とか「神の言葉を守る」ということが、どういうことなのか、また、その際、陥りやすい律法主義・・・・そんなことを考えさせられる箇所です。
「自然」が最大の律法の教師、と見てしまうのは、わたしが日本人だからでしょうか。

曇天に重機唸らす今ここがアバのてのひらのなか

ルカ12:1-7
髪の毛の一本までも数えられていることの安心を、どこで見いだすか。
信仰の要、南無アッバの要点はそこにある。

早ミサにあくび噛むシスター美しアバの風

ルカ12:8-12
どんなときにも、聖霊にお任せするよう、イエスは教える。


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