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キリスト教関連現代詩歌コレクション(1)  

使徒パウロ磔刑のその人を見しというや冴えて眠り待つ霜夜のねむり   近藤芳美

磔刑のその人を見しもののいのち誰さえ一生(ひとよ)負うことの上   同


昭和63年『磔刑』より。
歴史的には、パウロが人間イエスの処刑に直接立ち会っていたとは考えられない。
が、信仰的に十字架と復活のイエスに出会った者の人生を変えずにはおかない。

寡黙をば守り行かむ日読みつげる旧約の世界を独り愛して   同

昭和29年『冬の銀河』より。
旧約的ダンディズムとでもいうべきものに対する共鳴感か。

いくたびか激しきしぐれ降り過ぎてかかる日によむエレミヤの哀歌   同

グレゴリオ聖歌の中に澄む鐘に二人居る夜を涙ぐむ妻   同


昭和35年『喚声』より。
60年安保の年。

宗教の賞味期限を説く人の背後に見えて鳥は鳴きおり   大島史洋

短歌研究」06.9第42回「短歌研究賞」受賞対象作品より。
受賞対象33首のタイトル「賞味期限」のいわれとなる一首。
宗教の賞味期限を説く」のだから、この「人」は、宗教は相対的なものと考えているのだろう。
馬場あき子氏は、「「賞味期限」という通用語も、痛烈な考現学的風俗語として登用されたのだろう。・・・・ユニークであるだけでなく、今日的現象へのシニカルな怒気さえ感じられて面白い」と講評している。

結論は常に平凡 宗教の根本にある祈りと言えば   同

宗教者としては何とも反応に窮す。いずれにしろ、「結論」が「常に平凡」なのは、なーんだ、と思うかもしれないけど、安心もするのではないか。

わが母はもしやの隠れ切支丹 天草島の香にぞ親しむ  高松秀明

山姥に抱かれし男の子キリストは愛みなぎれる乳房まさぐる

幾たびか足に踏まれし一ならむくらき「踏み絵」に口づけてみよ

大いなる聖杯あればあかき血をのみたる鳥は霧に飛翔す

くりぬける柱の洞に秘められし聖母、ロザリオ影のなきまま
隠れ聖壇ひらきて十字きる右手ふいに払はれ汚辱の奔る

天草は草も十字架(クルス)に咲きたたせ小さき冥府をそこここに見す


短歌現代」06.9「天草そして佐世保」10句より。
四郎の故里では、草花も十字架の形に咲いている。その一つ一つにも、キリシタンの信仰、迫害の凄惨を見て取る作者。
時代を超えた信仰の証は、そこここに現存する。

月曜日のニコライ堂は黙り込む   わたなべ柊

「豈」39号より。
主日の翌日は、原則司祭の休日。これではあまりに浅い解釈だが、現象として静かなのを通り越して、意志的に「黙り込む」ところに、句のポイントがある。
作者は、「大井川のほとりに」暮らし、「また新たな気分で短歌や詩とは全く異なる俳句の形式に眩惑されながら・・・・」と言っているから、様々な詩形式を体験した上での俳句なのだろう。

とっぷりと樹液に満ちた肉体が起きあがるときわれは夕闇   加藤治郎

短歌研究」06.9作品連載4「モドレ」より。
直接はエロスを歌った連作の一首で、キリスト教関連のキーワードは含まないが、「肉体が起きあがる」から復活を連想させる。
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