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神の国は独り占め?  

マタイ13:44-46

「神の国」は、「持ち物をすっかり売り払って、買う」ほど、高い価値がある、という、これはよくわかる。

しかしよく読むと、このたとえは、それだけではなさそうです。

というのは、前半の「畑の宝」では、「見つけた人」は、「そのまま隠しておいて、、、、」となっています。

せっかく見つけた宝を、排他的に自分のものにしちゃうんですね~。

後半の「高価な真珠」のたとえはどうか?

ここでは、「隠して」はおかないけれど、どうも、この「商人」は、あわてて、全財産を処分して、買い取っているように読めます。

つまり、これらのたとえでは、「神(天)の国」が、ものすごく貴重だ、ってだけでなく、こっそり自分のものにしてしまう! だれにもあ~げないっていう、独り占め、排他性を是認しているように読めるわけです。

これはどうも、隣人愛をモットーとするキリスト教には、あまり都合のいい話ではなくなってしまうようです(汗)。

しかし、曲がりなりにもキリスト者である私は、ここで、引き下がるわけにはいかない(笑)。。。。
で、どう受け取るか? 皆さんは、どう思われますか?

私なりに考えてみました。↓
まず、この「畑に隠された宝」や「高価な真珠」は、だれでもが見つけられるものではない、ということを言っているのだと思うのです。
「畑」は、私たちが日頃耕している、仕事場を象徴している。
こういう毎日毎日の、何気ない日常に、その底(下)に、神の国は、隠されているんだよ、ということではないでしょうか。

つまり、目の前に、すぐ近くにあっても、気がつきにくい、それが神の国だよ、ってこと。

では、「高価な真珠」はどうか?
これも目の前のお店、市場にあっても、もっと目を引く華やかな宝石に紛れて、その価値が簡単にはわからない。
その価値を見抜けるものだけが、こっそり買っちゃう、そういうものだということ。

さらに、なぜ、それを他の人に言わず、独り占めするのか?
これは、上の「見つけにくい」ということより、難しいと思います。
全部わかった、というようなことは簡単には言えません。

ただ、上との関係で、言えば、もともと一般には見つけにくい神の国。
それを、もし見つけて、周りの人に教えたとしても、もしかすると「な~んだ」ってなことで、終わっちゃうかもしれない、とも思うのです。

たとえば、僕らが提唱している「南無アッバ」。
「アッバにすべてをお任せするのが、キリスト教です」と言っても、
「あ~、そういうもんですか」という反応は、一般的です。

だから、神の国のことを、人に言わずに、隠していても、あまり現実には、関係ないのかもしれません。
俺は知ってるけど、おまえらは知らない、ざまあみろ、ってなことにもならない。

そうなると、福音伝道は、言葉じゃない。
第一、「からし種」や「パン種」のように、「ひとりでに芽を出し、実る」とも言ってるわけですから。

こう考えてくると、神の国の「排他性」は実存性ということなんじゃないかと、思えてきます。
単独者として、一人一人が、探していく、そういう面が強調されているのではないでしょうか。

神の国の奥義は、難しい。
難しいけど、あれこれ考えると、楽しいです。

いずれにしても、今は
----南無アッバ----
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