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砂の城  

(マタイ13:31-35より)
天国は、「からし種」や「パン種」のようだと、イエスは、たとえで話された。
が、私たちの日常は、なかなかそれを実感することはができない。

能登への旅行中に、羽田の売店で買った、遠藤周作の青春小説「砂の城」を読んだ。
暗い気分になった。

五箇山の「こきりこの里」まで来て、大学時代の音楽サークルで歌った、「こきりこ節」を思い出した。
今は、小学校の音楽教科書にも載っているという。

帰宅後、古いテープを探して、自分たちの歌った「こきりこ」を聞いた。
落ち込んだ。

暗い気分の正体がわかった。
自分たちの歌声を聞いているうちに、その当時の気分がよみがえってきたのだ。

「苦しかった」という印象が一番強い。
そういう思い出を背負っていることは、寂しいことだろうか。

何か、具体的に大きな不幸があったわけではない。
それなのに、「苦しい」という感覚はあらゆる場面にあった、と思う。

友人との会話、笑い、ときに政治の話にも、、、みな陰がつきまとっている。

遠藤は、つくってもつくっても、はかなく崩れ去る「砂の城」のなかで、「美しいことと、善いことと」を求めようと、主人公に言わせる。

あの頃の「苦しさ」は、虚無的な生のなかで、「からし種」や「パン種」を、必死になって求めていたためだろうか。

----南無アッバ----
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コメント

私も7月の終りに同じような経験をしました。
ピアノのレッスンで「竹田の子守歌」を弾いていて突然居た堪れない
ような気持ちになり、先生に身の上話を始めてしまったのです。
レッスン中だというのに私の手は停まりしばらく話を続けました。
やがて気を取り直して連弾となり、和音の深い味わいを学び、
レッスンは無事終了しました。
いったいどうしたのでしょうか、短調のままだとこのような気分に
なるのかな・・・。「鳥の歌」は途中で長調に変わるからそこで
救われるのかな。そんなことを考えました。

「美しいことと、善いことと」を求めよう。
本当にそうですね。

ひかり #- | URL
2006/08/02 11:05 | edit

ああ、そういうことが

あったのですねー。
いろいろな偶然、共時性?が重なって、思わぬ感情が、噴出するってことが、あるんだなーと今回、つくづく思いました。

また、民謡とかだとなおさらなんでしょうね。
昔のご先祖の思いが込められていて。。。。

余白 #oBO5MkqQ | URL
2006/08/02 12:33 | edit

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