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願い  

 神のはからい。人間の傲慢と欺瞞を少しずつ剥がし、謙虚にモノの本質をつかませようとする神の力。迷いながらも、イエスのエレベーターに乗って、そして最後は天国へ連れられていく。わたしのなかの悪い考え、思い、感情がどんなに邪魔しようとも、神の御旨だけが行われますように。

   わがヨルダン川

 イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられる。そうすることによって、同じくヨルダン川に集まり、罪を告白し、洗礼を受けようとする罪人と一体となられた(マルコ1.4~9)。
 わたしもその群れに加えてもらおう。そのとき、イエスと出会う・・・・。
 ところでわたしのヨルダン川はどこにあるのだろうか・・・・。

   最期の問題

 最期は、すべてを神に任せ切れない心だけが問題になる。

   神の責任

 神は人間に自由をお与えになった。
 そんな大それたものを人間にお与えになったからには、神はどんな責任の取り方をされるつもりなのだろう。

 それは、どこまでも人間に連れ添い、共にいて、共に喜び、共に苦しもうとされることによる(ローマ12.15)のだ。
 そこに同時に神の愛がある。神の自由と愛と責任は一体であるから。
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