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「善いサマリア人」のたとえ(ルカ10.25以下)の直後に「マルタとマリア」の話(10.38以下)を続けたルカの配慮について  

 読者は「行って、あなたも同じようにしなさい。」(10.37)と言われたとき、愛のコペルニクス的転回――自分にとって隣人とは誰か(10.29)を問うのではなく、自分を必要とする人の隣人になっていくべきことを知ります。

しかし同時に、自らがあのサマリア人と「同じように」は簡単にだれかの隣人になれない、という困難を感じるのではないでしょうか。読者が実直であればあるほど、焦って隣人愛の、表面に現れた行動だけを真似ようとする誘惑に駆られるかもしれません――偽善。

しかしやがて誠実な彼は、愛がおのずから起こるときまでは、ことさらに呼び起こすことも、さますこともしてはいけない(雅歌2.7)ということに気づきます。なすべきことが明確でありながら、どのようにそれをなしてよいかわからない――葛藤。

 この読者のジレンマを十分承知していたルカは、すかさず「マルタとマリア」の話を続けるのです。ここでイエスは、彼をあれこれもてなす行動の愛に即出ようとするマルタに待ったをかけ(否定ではありません)、心の愛を優先しようとするマリアをかばうのです。

「マルタ、マルタ、あなたはあなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(10.41)

 すなわち、マリアの心から出発してマルタの行動に出たとき、あの「善いサマリア人」の自然な隣人愛として実を結ぶことになるのです。
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