「南無アッバ」を生きる ホーム » 平田栄一求道詩歌(1) »圭之介俳句の魅力

圭之介俳句の魅力  

 「層雲」入会数年後、社友欄「麗日集」に転じた私は、近木圭之介氏の選を仰いだ。その折のコメントから――「殆ど添削する箇所ないようです。自選が最大の勉強だと思いますが、いかがでしょうか。自選に力を入れることです。多く作り意識して表現の幅を広くするといいと思います。自分として(数年?)掘り尽くし、百八十度の転換を試みることですね。」返稿にさらりと添えられたこの一言が、実は氏自らが辿った真摯な句作体験そのものであったことを、この稿を起こしながら改めて納得させられている。

 とまれまずは、おそらくこの「特集」ではだれも触れないであろう、圭之介氏の初心(とくに若い人)に対する指導力を指摘しておきたい。一つの傾向に囚われず、添削は最小限に留め、作者のやる気と個性を尊重しながら、ときに思い切ったアドバイスもする。これは私だけでなく、氏の選を仰いだことのある何人もが異口同音に語る所である。「いま俳句に必要なのは、そういう自由な表現の過程を保証する場である。・・・・そして俳句は、もう一度おもしろくなるだろうか。」と仁平勝は言った。今の「層雲社通信」がこうした姿勢を大切にしてきていることは、若い世代にとって有り難いことである。

  いつしよにあるけばまがつてゆくみち   S10
  昏れずに壁月になる           S19
  絵本明るく見て暗い海の鳴る       S29
  沼はあって結果が雨           S40
  影も手がはたらいている         S49
  思想喪失菜の花が咲いた         S54
  雨が背後に集まる耳は濡れぬ       S58
  人形打つごと火蛾打つごと 罪を打つ   H2
  背骨ニ刻ム 炎ノ文字群レルホド     H7


 圭之介俳句の作品傾向は昭和四十年代から、とくに井泉水没後の五十年代以降大きく変化する。ここでは圭之介作品の文体について考えてみたい。その独自性に到達するために、まず平松星童、飯島翠壺洞の作品に触れたい。

  おのがいのちにはあらじとおもふ日々わかばこし  星童
  あいたいとだけびしょびしょのはがきがいちまい
  しみじみ手をにぎられしただいちどのゆきの日


 平仮名の多用、月、星、少女、小動物等々を詠み、八木重吉の詩風を思わせる、色で言えば白を基調とした哀しい優しさに満ちている。文体は短歌的抒情に富み、あるいは散文的で一読解しやすい。しかし、これを裏返して言えば、句意が明白すぎて読者に想像の自由を与える幅に乏しく、線の細い文体となっている。内容的には、どの句からも同じような雰囲気――あるいはメルヘンチックな、あるいはロマンチックな――が醸し出される。こうした特徴から、五十句・百句となった場合、次々に読ませる力はあっても、途中立ち止まり、あるいは振り返ってもう一度・二度じっくり読者に再読させる魅力に欠けるのである。昭和二十二・三年頃になると、より散文化し句切れに乏しくなる。そこへ同じような句材が繰り返しうたわれれば、マンネリズムに陥らざるを得ない。もう「少女――」、「海――」と来れば次に何がうたわれるかおよそ見当がついてしまう。星童の作品生命の短さは、こうしたがんじがらめの自己模倣に行き詰まり、抜け出られなくなったためではないだろうか。とはいえ星童は、自由律が短歌的抒情を俳句に取り込んでいった先に辿りついた、自由律を俳句と短歌のいわば中間的表現形式(橋渡し)として捉える実験の一つの頂点ではあった。

  月夜の海がけものの骨あらっている        翠壺洞
  美しいけもの罠に陥ち枯野雪降る
  私の内なる丘の春靄に蒼き鹿建てり


 昭和五十年代後半のわずか数年を、水星のごとく駆け抜けた飯島翠壺洞。星童と違うのは、肉体的死によってその作句活動が終止したことである。平板な生活詠マンネリズムに陥っていた当時の「層雲」に、印象的な幻想風景を詩的に一句に詠み込むことに成功し、一読忘れられない作品を数多く残した。彼において、我々は層雲史上の印象詩から象徴詩への現代的試みの一モデルを見ることができる。それが翠壺洞の最大の功績であろう。そうした資質を持つ俳人を「層雲」が失ったことは残念には違いない。くすんだ蒼いバックスクリーンの中に演じられるドラマ――残された作品を反芻するときの印象である。連作として読んで、どこから始めても一つのドラマが展開する。しかしドラマ性には富んでいても作品背景に常に∧くすんだ蒼い∨モノトーンが響いていて、多義的なドラマは展開しにくい。だから、どの作品も完成度が高いだけに、それが息苦しさとなって読者に迫ってくる。このことが、翠壺洞の限界ではなかったか。自己模倣―マンネリズムは避けがたい。星童の短歌的抒情、翠壺洞の象徴詩、という分け入ったエリアの違いはあるにしても、そこに待ち受けていた、超えなければならない陥穽には共通項があったのだ。

 さて、こうして二人の作品を分析した上で、圭之介作品の∧息の長さ∨に注目したい。昭和七年の「層雲」入会以来六十有余年、その句作力や新鮮味はまったく衰えを見せない。我々が毎号の圭之介作品を心待ちにしていることはもちろん、昨今の入会者の動機を聞いても、(山頭火ではなく?)圭之介作品に魅かれて、ということをしばしば耳にする。その秘密はどこにあるのだろうか。結論を先取りすれば、それは∧現代詩性と俳句性のバランスに立った文体構造上のバラエティ∨にある、と考える。その内実を瞥見してみよう。現代∧詩性∨という視点から見れば、たとえば、

  虚飾 指の                圭之介
  黒。意識の統一
  虚構ノ美シサ触レレバ非具象果実


 こうした作品に見られる、俳句では嫌われる抽象語の思い切った使用と省略法。あるいは、

  残酷ニデスネ。エエ梟ノヨウニデス
  何処いんくだネ 原野に赤い三輪車


 対話や呼び掛け調を自由に駆使して、現代人の複雑な心理に迫ってくる手法。

 一方∧俳句性∨に視点を求めれば、何より星童や翠壺洞と決定的に違うのは、句切れである。先ほど「超えなければならない陥穽にある共通項」と言ったのは、この問題を念頭においている。圭之介作品に比べ、星童や翠壺洞は句切れに乏しい。助詞の使用法(量)を比較してもそのことがよくわかる。井泉水は「俳句トハ一ツノ句切リヲモチタル一行ノ詩ナリ」(『新俳句入門』他)と定義した。定型や季語を揚棄した自由律俳句にとって、その∧俳句性∨を主張できるとすればそれはまず句切れにおいてである。

  おんなの骨に梟なき 月日すぎました
  息を吐く 生ある限り錆ひろがる


 圭之介作品に多く見られる一字空けはその典型である。このポーズが句切れとなって、立ち止まった読者は上―下句間の時間経過を感じ、様々なドラマを心に描く余裕と自由を与えられるのである。圭之介作品の場合、饒舌性からくる退屈や畳み掛けてくる言葉からの緊張を迫られることはない。余談だが、アメリカのある俳句研究家が、歌人や詩人に比べて俳人に長生の人が多いのは、俳句に規定された弛緩と緊張の繰り返しが心身のバランスによい影響を与えるからだ、といった分析をしていたことを付け加えておこう。

 ここで私が句切れと言った意味は、広く考えなければならない。

  日付のない暦背負って逃亡しようか
  木の実が鳴るのは無意味におもえたが


 右傍線部が切れ字の役割を果たしていることは言うまでもないが、たとえば

  風にめくれない女たち
  風が止んだままの形で背骨にいた


 「・・・・めくれない」と「女たち」の間、「・・・・形で」と「背骨・・・・」の間には常識的、表層的意味関係の断絶、落差があり、こうした小休止的な文体も広い意味で句切れの役割を果たしていると考えられるのである。ただしこうして句切れを広く定義していくと、∧俳句性∨は∧詩性∨へと還元されていく。そこに∧バランス∨の問題がある。上下の言葉関係において表層的繋がりを断つ落差・衝撃は、星童↓翠壺洞↓圭之介の順に大きくなる。衝撃が小さくなれば散文化しいずれはマンネリズムに陥るし、大きすぎれば難解とされ、多くの読者を引き付けることは難しくなる。仔細に一句を検討すれば、この衝撃の大小の組合せによる、弛緩と緊張の繰り返し、それが∧バラエティ∨に富むリズムを創ることがわかる。また、そうした言葉関係の落差に読者の自由な想像が保証されることにもなるのである。とはいえ、圭之介作品の場合、いわゆるシュールに走ることはない。どこかいつも日常が意識されている。句切れ同様微妙な∧バランス∨の問題だが、この日常性を如何に意識するかということも、詩の中の俳句という領域を規定しているように思う。

 もうひとつ、阿部完市作品を加えて比較しておきたい。氏の俳句に「核がない」(「社通信」No.15.P.46「現俳協青年部勉強会報告と寸言」参照)というとき、それは文体構造の求心性、構成要素としての言葉の持つベクトルの問題である。これを基準に前四者を比較すれば求心↓遠心の関係は、翠壺洞↓星童↓圭之介↓完市の順になろう。このことは俳句性としての軽みに関係する。句中すべての言葉を動員して無駄なく一点へ向かって凝集していく構造を持つ翠壺洞は重い。やがて息切れする。星童には言葉数から言っても余裕がある。しかし、軽みに乗じて饒舌が危うい。圭之介俳句は一点凝集でもなく、かつ饒舌も免れ、気負わず、作者と読者の領分の∧バランス∨を弁えた文体を構成している。すなわち自らが積極的に語ろうとする意志を持った強いベクトルと、読者に任せる弱いベクトルを合わせ持っている。氏の手になると深刻な句材を用いてもどこか軽みを感じさせるのはこうした文体構造にある。

  酸性霧一人を殺し 一人ずつ殺し         圭之介
  テロリスト私つり革に 少し遠いところ

  ペリカンにあるきまわられて世界かな       完市
  馬出生してすぐ空間に入りにけり


 これらの句を比較すると、完市氏は圭之介氏以上に自己の「世界」を読者に無造作に投げ出していく。圭之介作品は上―下句の関係においてより補完的であり、完市氏よりは「世界」を語ろうとする自己のベクトルを持ち、拡散はしない。完市俳句のように「無中心」と言うことはできない。

 圭之介俳句の∧息の長さ∨は、昭和初期から現在に至るまで衰えぬ句作意欲の持続性が根本にあるものの、それをなしえたのは、敏感な時代感覚のもと、以上見てきたような∧詩性∨と∧俳句性∨の二つの武器を微妙な∧バランス∨に立ってものした柔軟な文体構造、またそれゆえに、時事語・観念語をも含めて∧バラエティ∨に富んだ句材と句法を持ち得たこと、によるのである。その過程で、山頭火や星童、翠壺洞等々「層雲」同人との伴走・継走――埴谷雄高の言葉で言えば「精神のリレー」――が氏の糧となってきたことは疑えまい。(H7.1.19記)
関連記事


category: 平田栄一求道詩歌(1)

thread: 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など

janre: 学問・文化・芸術

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/428-4a442a01
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop