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  神欲す抽象語の山堆く   平田 栄一

 聖書は不思議な書物である。繰り返し同じ箇所を読んでも、これほど読む度に感じることの違う本はない。一番新しい新共同訳より昭和三十年代の口語訳、さらに文語訳ではなおその感を強くする。なぜだろうか?

 翻訳というのはおもしろい。十種類ほどの異なった日本語訳の聖書を持っているが、新しい訳ほどたしかに日本語としてはこなれて読みやすく意味もわかりやすい。

だが、直訳調でぎこちなく、ときには誤植と見間違えるほど〝てにをは〟が引っ繰り返っているような古い訳が無性になつかしくなることがある。読むことと味わうこととの違いと言ったらよいだろうか。

滑らかな現代語に慣れている者は、直訳や文語ゆえの語句同士の衝撃力に新鮮な詩性を感じるのかもしれない。この辺りが私にとって〝現代俳句は口語で〟と簡単に割り切れない所以でもある。
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