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  火が燃えようとするロゴスを求めようとする   橋本 健三

 ロゴスを求めようとする火はどのように燃えるのか?

 「ロゴス」と言えば、ヨハネ福音書の冒頭「初めに言ロゴスありき」が有名である。もと もとロゴ スとはギリシア哲学で宇宙原理・法則を意味する一般名詞であったものを、福 音書記者ヨハネは「イエス・キリスト」という固有名詞として解釈していった。

「言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によって成った。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。」(ヨハネ1.1~5)言→命→光。

しかし「暗闇は光を理解せず、」「世は言を認めなかった。」(1.10)そのイエスは聖霊と「火」で洗礼を授けるという(マタイ3.11)。火は聖書的に清めを意味する。

 掲句、イエスの主体復権とも、人間の本性からなる求ロゴス性ともとれる。ルオーの絵で知られるエマオの旅人は、それと知らずイエスに出会ったとき、心が「燃え」たという(ルカ24.32)。
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