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  土に影おけば癒えてゐるやうな   海藤 抱壺

 聖書思想において、「土」は独特・重要な概念である。

 旧約ではまず創世記に、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(二章七節)とある。

 新約においても、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。・・・・偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」(コリントⅡ4:7)などの記述があり、人間は土のようにもろいが<同時に神の偉大さを映す者であることが随所に語られている。パスカルの「考える葦」にも通じる。

 熱心に聖書を読んでいた抱壺であれば、己が病身の影を土に見たとき、そうした「土」のもつ聖書独特のイメージを想起したにちがいない。それは「土」からつくられたばかりの、つまり原罪前の無垢な人間の本来性を回復したい(癒える)という祈りへとつながるのである。
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