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一行詩の人生論 ――俳句で考える生き方――    

  必要のない手首のボタン一日が長すぎる

 卒業した生徒の作品(とりあえず「一行の詩」だと思ってください)です。

 私たちの身の回りには、いろいろと不要なものがあふれています。学生服の手首のボタンが、いつごろから何のためについたのか知りませんが、複雑でわずらわしい現代の生活の中にあって、簡素な生活に対する「あこがれ」はだれにでもあるものでしょう。

 文化史的にみても、日本人は室町時代の武家社会から発達した茶道をはじめ、「わび・さび」とよばれる簡素な感覚を重んじてきました。日本の詩を代表する最短詩型の短歌や俳句の成立過程をみても、日本人が余計なものを省いて本質を重視しようとする素質に恵まれていることがうかがえます。

 右の作品は、「手首のボタン」一つに退屈な一日を象徴させて、読む人の共感を呼び起こします。とくに学ばなくても、日本人ならだれでもこういう象徴的な詩を書くことができるのは、上に述べた日本人の伝統を現代人が背負っていることと関係があるようです。

 ある民族が長い間に築き上げた文化環境は、個人がどんなに意識的に反発したところで、そこから逃げだせるものではありません。「人間とは常に歴史的存在である。」と言ってもよいでしょう。ですから私たちがものを考えるときは、好むと好まざるとにかかわらず、常に日本人として考えているのです。それは私たちの思考や感性の限界であると同時に、個性ある生き方への促しでもあるのだと思います。

 掲句のような一行の詩を手がかりにして、わたしたちは、人間や社会や生き方について様々に思いをめぐらすことが出来ます。
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