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食ということ--ロゴスを味わう(1)  

 「食」に関する聖書の記述は多い。ちなみに、手元にある『口語訳聖書コンコルダンス聖書語句索引』(新教出版社)から拾ってみよう。

旧約も含めて「食べる」という言葉が使われている句(聖書の句だから「聖句」)は五十四箇所。
以下同様に、「食物」四十、「食事」十六、「食卓」十、「食料」四、「食べもの」三等々。
『聖書の食養法』『食物から見た聖書』などという本も出ている。

 一般に最も知られている「食」に関する聖句はおそらく、イエスが断食し空腹になったとき、誘惑する者に、「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」と言われて、「『人はパンだけで生きるものではない。

神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」(マタイによる福音書四・三、四)と答えたというものだろう。

この後の句が取り出されて、「人間は動物と違うのだから生きていくには物質的なものだけでなく、精神的なものも必要なのだ。」という意味に使われるのだが(そしてマタイ自身、ルカの「貧しい者は幸いである」(六章)を「心の貧しい者は・・・・」(五章)と言い換えるなど、イエスの教えを精神化する傾向があるのだが、)ここは本来、申命記に出てくるマナの話――出エジプトの途上、モーセが天から降らせた食物――の引用であって、「徹頭徹尾食物の問題」(塚本虎二訳『福音書』岩波文庫四一九頁)なのかもしれない。

いずれにしても「食」の問題がユダヤ教をベースにしたキリスト教では重要な位置を占めていることはまちがいない。このことはプロテスタントよりカトリックでより重要な問題になるのではないか。
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