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三 罪人  

A:人間が「よりよく生きるため」に定められた律法の本質を忘れて、形式主義におちいった律法学者(パリサイ人)のもうひとつの問題というのは?

B:「パリサイ人」とは「分かたれた者」という意味なんだけど、自分たちは律法を守らない罪人と「区別されて」、忠実に神の律法を守っているといううぬぼれがあるんだ。

A:なるほど。俺たちはお前たちとちがって、正統なユダヤ教徒だというわけだ。なんだか、定型俳壇の古い連中がいまだに自由律を無視しているのと似てるなあ。

B:パリサイ人自身一生懸命なのはいいんだが、それだけに自分たちとちがう人々を見下して、「おまえたちは地獄行きだ」と裁いてしまう。罪人のなかには生活のため仕方なく売春婦になる(姦淫の罪をおかしている)女性や、病人(当時病気は罪の結果と考えられていた)も含まれていた。

A:弱者や少数者をないがしろにする、エリート集団にありがちな発想だね。そこが第二の問題点か・・・・。

B:『パリサイ人と徴税人のたとえ』というのがあるんだ。 二人の人が祈るために神殿に上った。パリサイ人は「神様、私は他の人たちのように、不正な者でなく、この徴税人のような者でもないことを感謝します。」と祈った。ところが徴税人は遠く立って、言った。

「神様、罪人の私を憐れんでください。」言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、パリサイ人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。(ルカ伝十八章九節以降抄訳)

 なんでも、真実をめざそうとするのは大切だけど、自分たちだけがほんものだと思い込んで、他を排除するおごりは、イエスがいちばん嫌ったことなんだ。

A:そのあたり、現代もつづく宗教戦争の原因にも通じるね。しかし俳句の方じゃいま若い人たちの間に、結社や形式をこえて、現代の詩的真実をともに追求していこうとする動きもあるよ。

B:神様以外に絶対のものはないんだから、まずは相手を受け入れていくことが大切なんだと思うよ。

A:もっとも自由律の人が、受け入れられるべき「罪人」というわけじゃないけどね。

B:いや、キリスト教では、人間は神様から見ればみんな罪人ということになってるよ。
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