「南無アッバ」を生きる ホーム » 福音と自由律 »二 パリサイ人

二 パリサイ人  

A:君はオイルショックの後、せっかく入った会社を二年でやめてる。

B:それまでひとつの型にはまろうとする生き方をしてきたからやめてみるととても不安だった。

A:そういえば、俳句の方じゃ定型より自由律の方がむずかしいってよく言われるね。

B:ところで君。福音書のなかでイエスが徹底的に戦った相手というのは、当時の律法学者なんだ。

A:ユダヤ教に精通していた人たちだろ?

B:とくにパリサイ人というのは、モーセの十戒以来細分化していったユダヤ教のさまざまな宗教・生活規定を忠実に守ろうとしていた人たちなんだ。

A:「殺すな」「盗むな」・・・ってやつだね。日本人のぼくらからみると理解できない規定もあるけど、正しいと信じていることを守ることに問題はないんじゃない?

B:いや、そこには大きくふたつの問題があるんだ。ひとつは、人間をよりよく生かすために神から授かったはずの律法が、時代を経るにしたがって形式化し、「よく生きる」ことより「律法を守る」こと自体に目が向けられるようになってしまったこと。

A:律法の本質を見失っなっちゃったってことだね。

B:そうそう。それに対してイエスは・・・たとえばマルコ伝二章二十七節。

A:えーと・・・・「安息日は人のために設けられて、人は安息日のために設けられず」って言ってる。

B:つまりイエスは、安息日の規定(律法)も本来人間のためにあるもので、その人間をさしおいて「今日は安息日だから苦しんでいる人を見てもほおっておけ(人助けは律法をやぶって働くことを意味する)」っていうパリサイ人の形式主義、律法主義が我慢ならなかったんだ。

A:俳句も、昔からの約束だからというだけで季語や定型にこだわれば、堕落していく運命にあるってわけだ。

B:なんのための定型かを作者は考えなければいけない。

A:そういう意味では、自由律の人にも同じことがいえると思う。つねにぼくたちの俳句や詩のめざす方向をみつめていかなきゃ。

B:「自由律は老いやすい」っていうことをいつも肝に銘じておきたいね。
関連記事


category: 福音と自由律

thread: 社会学

janre: 学問・文化・芸術

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/391-32772aa8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop