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時空をこえて  

  神の舌猫の舌とそれっきり      早瀬 恵子
  祈るとき踵はガラスでできている   鎌倉 佐弓
  アンナとマリアとイエスの泉くらい雨 夏石 番矢


俳句に限らず
言葉は、伝達者によって解釈される。それがさらに解釈されて伝わり、曲解され、ときに揺り戻され・・・・ついにその一部が一人歩きしていく。

それが百年後、二百年後、何千年後かに取り上げられ、新たな解釈を施される。こうして最初の言葉は原型を留めないほどよれよれになり、苦しく歪んだものになるかもしれない。作者がそれを知ったら呆れるだろう。

しかし、言葉が時空を越えて生きるということはそういうことなのかもしれない。こうなると、(俳)人が言葉を使ったのか、言葉が人を利用して生き延びたというべきなのか。いずれにしろ、言葉自体は常に謙虚であり続ける。
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