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神とは  

本来対象化されえないものでありながら、いなそうであるからこそ我々の命を支えている神。

こう言ってしまってからまた気づく、これもまた神に客体として一定の定義を下してしまっていることになるのではないかと。

  刈萱に神の鎖骨が透いている     須藤 徹
  神山君の家葱を売る靴も売る     田島 健一
  神々の虚無深きかな星を組む     水野真由美
  鎖骨ごと月に吠へたる神かとも    荻原久美子

              
ルターは、「神とはこれこそ神であるとあなたが思って いるようなものではないもの」という一種の非定義をもって定義した。

だれでも神について何らか語ることができる。しかし我々が語るのは、神そのものについてではなく、厳密には神的なものについて語っているのである。

したがってそのときは、「私はこう思う」という但し書きが常についてまわることになる。 神について、ある物言いを絶対化した途端、自分を神の座に置くという罪をおかすことになる。

だからもし、非の打ち所のない理路整然とした神学があったとしても、百パーセントは信用することはできない。神は自然や理性を超越している。と考えるのは、すでにユダヤ・キリスト教系列のパラダイムに規定されていると言われるかもしれない。

しかし、神は人の日常に瞬時も離れず関わりながら、かつ時空を超越している、とわたしは思う。わずかに、詩的な言葉だけが神(的なもの)を語る手がかりとなるかもしれない、とも思う。
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