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Xが働く  

以上のように、パウロの例を振り返ることによって、一見唐突に思える回心も、実は人生の長い時間的な経過の中で少しずつ準備されていくものであるということ、

そして、その回心には他者との関係が大きな要素として作用することがおわかりいただけたかと思います。

そういう意味で、パウロの回心はけっして特殊なものではなく、世のキリスト者、いな、何らかの信仰を持つ者に共通の要素を含んでいるのだとおもいます。

「なぜ、洗礼を受けたのか」という問いの答えには、人生のすべて――生い立ち、人間関係、心身の状況すべてが総合されていると言わざるを得ないのです。

こうして、いわば「時が満ちた」(マルコ1.15)とき、前述の遠藤氏言うところのXが働いて回心――受洗に至るのではないで しょうか。
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