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なぜ信じたのか  

 ときどき人から、「なぜ洗礼を受けたのか?」と聞かれることがあります。

わたしは、職場や友人関係においても、自分がキリスト者であることをあえて隠したことはありません。

むしろチャンスがあれば積極的に表明している方かもしれません。しかし「なぜ洗礼を?」と聞かれて咄嗟に何と答えようかいつも戸惑います。

 内村鑑三も言っているとおり、どのようにしてキリスト者になったか、という経過は説明できても、どうしてキリスト者になったか、という理由はなかなか言語化できるものではないのです。

気取ってこんなことを言っているのではありません。実際やってみようとして、本当に苦労するのです。

病気・不安・人間関係等々・・・・どれも少しずつは受洗の動機となってはいるのでしょうが、どれも決定的なものではないような気がするのです。

遠藤周作氏の言葉を借りれば、そこにもう一つ、何かXとでも呼ぶべき者の力が働かなくては、受洗までは決意しなかったに違いないのです。
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