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「余白の風」 第124号-14ページ  

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はい、ここでお互いが見限っては、日本のキリスト教はない、と思います。頑張りましょう!

>そもそも、十戒も禁止事項が書かれており、禁止命令文となっておりますが、元来のヘブル語の文法では、断言命令になります。
つまり、『・・・するはずがない。』という意味であり、信頼関係があれば、この様な事を行なうはずが無いと言うことになるのです。神からの愛の呼びかけに、愛で答える事が出来ない。それ故、神は父性を見せているのです。

僭越ながら、とてもよく勉強されているなあ、と感心しました。そう「はずがない」という断定命令なんですよね。
私も昔、新約のマリアの「お言葉の通り、なれかし」(ルカ)という言葉に接したとき、このことを学びました。つまり、人の思いがどうであろうと、アッバの思いのままに「なるはずだ」というような解釈に気づいたのです。

>私見では、父と母の性質の双方を持ち合わせていると考えます。

どの宗教も両性面はあると思います。しかし、イエスの神観は、ユダヤ教で父性に傾いていた解釈を、母性が根本なのだと主張したように思っています。

>余白さんの表現は、理解できますが、それは人間側から観た違いではないでしょうか?

そうかもしれません。しかし屁理屈のようですが、それが「人間側から観た」ものに過ぎない、と確実に言えるのは、神だけですね。
母性からのアプローチも否定できない可能性を持っていると思います。

>イエスは、神と人を正しい関係に戻す。つまりは、神の愛に対する応答を行い、その母性に気付かせているのではないでしょうか?

この部分は、まったくそう思います。

>旧約と新約では、神への印象が、かなり異なるように思えますが、それは神側の違いではなく、人間側の違いによるものだと思います。

その「人間側」の「印象」が、西欧と日本において異なっており、今まで西欧的な解釈=父性中心が、日本人への伝道を1%に留めてきたと思うのです。
これは メッセージ 90 toshif7kaze に対する返信です

酒とキリスト教 [ No.96 ] mcgrawhilljp
仏教は、在家の五戒即ち、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒(ふおんじゅ)と、酒を禁じていますが、キリスト教はどうなんですか?
モーゼ十戒には、見えませんが如何?
これは メッセージ 1 yohaku5 に対する返信です

●Re: 酒とキリスト教 [ No.97 ]yohaku5
>酒とキリスト教

まず、現状から言うと、およそですが、戦後アメリカ系の保守福音派系の教会は、禁酒をすすめることが多いようです。
その他、ヨーロッパ伝統のルーテル、カトリック、正教などは、アルコールOKです。

で、聖書的な根拠ですが、「酒に酔うものは天国を継げない」というような若干の記述はありますが、そもそもイエスご自身、「カナの婚礼」(ヨハネ伝)に参加し、なにより「最後の晩餐」で、杯を回しのみしていますから、酒を飲んでいたのは事実だと思います。
それで「大食漢の大酒のみ」という悪口を言われたとも、福音書に記述があります。まあ「大」は大げさでしょうが、「この杯から飲みなさい」とイエスが言ったのですから、自分だけ飲まなかったということはありえないと思います。
これは メッセージ 96 mcgrawhilljp に対する返信です

●Re: 心貧しき人よ。 [ No.100 ]yohaku5
>心の貧しい人とは、その自覚があり、神の救いを必要とする者と理解するのが良いと思います。心の貧しさは、誰にでも大なり小なり持ち合わせておりますが、信仰心を持って救いを神に求め、頼るものは、天の国へ導かれるということだと思います。

つっかかるわけではありませんが、現代的に浮上している問題なので、一言。
「自覚」の問題です。悪や罪の自覚をを持っている者は救われ、自覚の無い者は救われない? そうだろうか? と思うわけです。
現代のように医学が発達してくると、「自覚」の有無は本人の意思や努力とは関係ないところで支配されている、そういう論もあるわけで、、、昔とは違う視点も必要なのかと思います。
これは メッセージ 92 toshif7kaze に対する返信です
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