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「余白の風」 第124号-13ページ  

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●Re:「旧約聖書」[ No.87 ] yohaku5
>「翻訳」を信じることができない。何故なら、「誤訳」があるからです。

わかります。ただ「翻訳」というのは、聖書に限らず、そもそも他文化を自国文化の言語に置き換える、いわば創作的要素が必ず付きまとうのですね。

>従って、名画を用いた解説は、誤解する可能性が少ないだうろう・・・と思った次第です。

しかし、まず描いた画家が受けるイメージはすでに彼の文化によって翻訳されており、それを見た、さらに異文化の私たちが持つイメージも、それぞれの文化で異って言語化されて意識化されるわけですから、言語ほど直接的ではないにしろ、あなたの言う「誤解」は免れないと思います。

>事実、新約聖書の翻訳は、論語の言葉を借りて翻訳しているから、ついつい誤解してしまうのです。
例えば、信、義、神、愛・・・これらはみな誤解のもとです。

「論語」だけではないと思いますが、誤解は大いにあると思います。
あなたのあげた例では、たとえば「義」。これは日本人には「正義」「義理」などが思い浮かびますが、聖書ギリシャ語では「ディカイオシュネー」とは、「神との正しい関係」といった意味で、罪(ハマルティア)の反対概念です。そうすると今度はハマルティアの原義まで戻って、、、という具合で、こうした精神的な用語は、その文化でも、完全な翻訳は無理かと思います。

>心貧しき

以前の「共同訳」では、「ただ神に寄り頼む」という訳を当てました。
私はいい訳だと思いますが、こうした「ダイナミック」な、今サスペンスものなどで流行の「超訳」のような試みも、今までもされてはきたのですが、定着するまでには至っていません。

>そういう意味で、「詩篇」も「箴言」も眉に唾をつけて読まなければならない。
これは辛いことである。

はい。「詩篇」などの、敵を徹底的に滅ぼしてくれ、というような発想も、私たちにはかなりどぎついですね。
やはり、砂漠の過酷な環境での発想とは、相容れない。
あなたが「辛い」とおっしゃるとおり、こうした言葉の問題は、すごく大切です。
これは メッセージ 75 mcgrawhilljp に対する返信です

●R旧約はユダヤ教の聖典 [ No.90 ]toshif7kaze

>私などはむしろ、旧約との断絶部分が大きいと思っています。ユダヤの民族宗教を脱して、キリスト教の世界宗教化がなされていったのは、やはり、イエスの旧約思想の否定--父性原理から母性中心への神観の転換があったことが、大きいと見ています。

意見の違いがありますと、新たな発見が出来るのではと、期待が持てますね。
余白さんが言われる父性と母性の神観についてですが、私見では、父と母の性質の双方を持ち合わせていると考えます。余白さんの表現は、理解できますが、それは人間側から観た違いではないでしょうか?
神の呼びかけに対し、我々人類がどの様に答えるかと言うことだと思います。神は、agapeと裁きの両方を持ち、そのどちらを観るかは、その人類の関わりにより姿を変えるのではないでしょか?
旧約の世界での神は、父親の様に力強く、裁きを行なう存在・・・畏れでなく恐れの存在です。それは、神側からの忍耐強い、愛の呼びかけに対し、神に背を向け、裏切り続けるイスラエルの民。それが彼らの応答だったのです。その物語が延々と繰り返され、神への応答の方法が分らないが故、アウグスティヌスによる『原罪』の説も出てきたのだと思います。そもそも、十戒も禁止事項が書かれており、禁止命令文となっておりますが、元来のヘブル語の文法では、断言命令になります。
つまり、『・・・するはずがない。』という意味であり、信頼関係があれば、この様な事を行なうはずが無いと言うことになるのです。神からの愛の呼びかけに、愛で答える事が出来ない。それ故、神は父性を見せているのです。
イエスは、神と人を正しい関係に戻す。つまりは、神の愛に対する応答を行い、その母性に気付かせているのではないでしょうか?
旧約と新約では、神への印象が、かなり異なるように思えますが、それは神側の違いではなく、人間側の違いによるものだと思います。
これは メッセージ 85 yohaku5 に対する返信です

●Re: 旧約はユダヤ教の聖典 [ No.95 ]yohaku5

>意見の違いがありますと、新たな発見が出来るのではと、期待が持てますね。
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