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「余白の風」 第124号-12ページ  

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蟻んこと共存空は常しえに

RE:栄一:小さな「蟻んこ」と大「空」の共存。
ものの大小をこえて、どちらもキリストの体ですね。
私たち人間も、それぞれ目立つ・目立たない場所での役割は違っても、アッバの懐で「共存」しているのですね。

[239] ヨハネ16:20-23:栄一 5/26

春の日朗々と流れる喜びの予兆

RE:色鉛筆

神は、
最良のときに、
最も善いこと、
最も美しいことを
行われる。
思いがけない
逆境の訪れにも
喜びが透けて見える。


*  *  *

そういう者に私はなりたい・・・のですが・・?。

RE:栄一:> そういう者に私はなりたい・・・のですが・・?。
まさに、そのとおりですね。
なかなかそこまで悟れないのが現実です。
それでも、そういう弱い私たちを、アッバはご存知だと思います。
自然はそのことを示唆しているように思えます。

[福音短歌] その57:一木

それから イエズスは/そこを出て いつものように/オリーブ山に行かれた(ルカ22:39)

わたしの魂は 悲しみ/のあまり 死ぬほどである/目を覚ましていなさい(マルコ14:34)

わたしから この杯を/取りのけてください しかし/おぼしめしのままに(マルコ14:36)

シモン 眠っているのか/目を覚まして祈りなさい/肉体は 弱いものだ(マルコ14:37)

時は来た さあ 人の子は/罪びとらの手に渡される/立て さあ行こう(マルコ14:41)

RE栄一:オリーブ山での祈りは、イエスの最重要のメッセージ「アッバ」が明記されている箇所ですね。

日本人の感性でとらえるキリスト教対話編(最終回)
●Re: ファッション感覚 [ No.84 ]yohaku5

>仏教でも浄土仏教と聖道仏教があるように、キリスト教も上記の様でなくても、別のプロセスも有り得ると考えます。

ありがとうございます。井上神学に師事している私としては、「贖罪」を強調するより、同じパウロ思想の「初穂理論」による救いを強調した方が、日本人にはわかりやすいのではないかと考えています。

>福音書を通し、キリスト・イエスの素晴らしさを知り、それに近付こうとする前向きな試みを通して信仰に入る。結果として、あとから今までの自身の至らなさに気が付くと言うような例も一つのケースとして考えられると思います。

はい、そうして福音の「すばらしさ」を知った上で、自分のエゴイズム(罪深さ)に気づかされる、ということもあるのではないかと思います。
これは メッセージ 73 toshif7kaze に対する返信です

●Re: 旧約はユダヤ教の聖典 [ No.85 ]yohaku5

>キリスト教は、ユダヤ教の聖典をそのまま受け入れておりますが、

このあたりですね。私見では、福音書などでは、かなり自由に旧約の引用と再解釈をほどこしているように思います。

>そもそもが遊牧の民であるイスラエルの十二部族と神との契約が始まりなのです。
そして、イエスはキリスト教を語ったのではなく、ユダヤ教・・・ユダヤ教が確立される以前の書、つまりは遊牧民のイスラエルの民が契約とその後の歴史や預言に関する事が基本となっているのです。

私などはむしろ、旧約との断絶部分が大きいと思っています。ユダヤの民族宗教を脱して、キリスト教の世界宗教化がなされていったのは、やはり、イエスの旧約思想の否定--父性原理から母性中心への神観の転換があったことが、大きいと見ています。
これは メッセージ 74 toshif7kaze に対する返信です
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