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「余白の風」 第124号-9ページ  

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なにほどの信にも優し夏の暮れ

(6/2旅を終えて)

何か置き忘れて軽し旅鞄

RE:栄一:旅行吟の難しさは、本人しかその場に居合わせていない、独りよがりな句になりやすいという所にあります。
しかし、いうさんの句は、「風」や「信」によって、キリスト者が共有できる空間を作っています。
とくに、
>欠くほどに注がれていて風光る
>なにほどの信にも優し夏の暮れ
など、信を同じくする者の共感をよぶことでしょう。

[273] 私が愛された亡き人々へ:色鉛筆 6/08

新しく炊いたご飯と
新しいお水。
私を愛してくれた
亡き姑、祖母、母に供える、
毎朝の「儀式」。


RE:栄一:いいですねー。うちも実家じゃ今もそうしているし、ぼくんとこは、家庭祭壇に鉦とお香を置いています。

実姉はカトリックなので、仏壇のなかに、幼いイエス様を抱いたヨゼフ様のご像が飾ってあります、いろんなお位牌を守るように。。。。

昔、外国人宣教師が来て、日本人がお仏壇にご飯やお水をあげるの見て、「真の神様は、人間のように食ったり飲んだりしませんよ」ってなこと言ってキリスト教に改宗させたとか話を聞いたことがありますが。。。。なんかねー、感性の違いでしょうか。

[268] 蚊を払いながらも・・・:いう 6/07

常の日に戻りむらがる蚊を払う

「風の家」20周年記念ミサで、お目にかかれてとてもうれしかったです。ミサ中忙しく立ち働いておられたので、お話を聞けたかしらと思っていましたが、さっそく音声をホームページにupされていて、さすが!と思いました。

ミサでのお話はまさに20年の実り、「南無アッバ」に行き着いた井上神父のお気持ちが伝わってくる内容でした。

何かと忙しい私たち一人一人の心に、ふっと風を取り込む小さな祈りの提案。だれもが、どこででも、どんな状況でも、その「風=聖霊」に助けられて神様と対話することができる・・・。「祈りの携帯」

当時としては驚くほど短い「主の祈り」を弟子たちに教えられたイエス様をひきながら、教会に行けないからだめだ、あるいは、祈ることができないからだめだと思っている私たちであっても、「短い祈りの携帯」で、神様からの「受容のやすらぎ」を生活に組み入れることができるというお話でしたね。

なんてうれしいことだろうと思いながらお話を聞きました。

電車を待つホームでも、自己嫌悪に苦しむ寝床でも、あの人は・・・と思い出す家事の最中でも、ふっと祈り、心に「風」を取り込むことができるのですね。

アメリカに戻り、とたんに押し寄せてくる日常のごたごたに戸惑っている私ですが、蚊を追いやりながらも「南無アッバ」です。「小さな祈りの携帯」!

RE:栄一:そう、香部屋で説教聞くとは思っていませんでした(笑)。
でもそれはそれ、いい経験をさせていただいたと思います。

うん、「祈りの携帯」は傑作でしたね!
「アッバの日向ぼっこ」とか、井上神父は造語の天才です。
日常に帰っても、「南無アッバ」で常に行きたいですねー♪

[267] 海:万梨 6/06

夕焼けや船路は紅くほだされて

ここ何日か俳句不振です。いそがしすぎて周りが見えてないからかもしれないです。

RE:栄一:鮮明な句ですね。けっして不振じゃありませんよ。
「俳句」不振と感じたら、短歌や五行歌もいいし、ぼくが復帰した「自由律」もいいですよー♪
形のこだわらず、いろいろ試してみてください。
ps:まじめな学生さんは、忙しいものですよね。

[266] 雨だれの歌:つぼみ 6/06

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