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ルカ伝黙想  

「豈」42号(06/3)より   平田栄一

わが内に灯ともし頃や神無月   13:01-09

理由(わけ)聞かず蘆火に誘う人の村 11:5-13

黄泉に聞く励ましありやヒエロニモ 10:13-16

紅葉する木とせぬ木の間花揺れて 12:39-48

雛を抱く鳥の目うるみ暮の秋   13:31ー35

眠られぬ夜も秋の点景とて    12:13-21

捨ててこそ拾う神なりそぞろ寒  13:1-9

秋霖の高鳴りしとき御血受く   11:29-32

使徒来たりまず欅から黄葉す   11:49

思春期の無口極まり十月尽    14:12-14

言霊を孕みて熱しからし種    13:18-21

黄葉に一線画し格納庫      12:49-53

現し身に付かず離れず秋の猫   10:25-37

暮れ易き車道を渡る神の人    11:37-41

霧になる人の面影主の祈り    11:1-4

休耕の畦あいまいに秋桜     12:1-7

寒灯やいよいよ昏き位置定む   11:5-13

眼前の刈田に史的イエスかな   10:1-9

神の指なぞる川辺に曼珠沙華   11:15-26

柿食みて不調をかこつ昼下がり  14:1,7-11

故遠藤周作氏の畏友・井上洋治神父から私が洗礼を受け、神父がキリスト教のインカルチュレーション(日本文化内開化)をめざして「風の家」を設立するまでの五年間―一九八一~八六年―が、受洗前とは違った意味で、私にとって大きな精神的試練の時期だった。

福音の恵みのなかにありながら、様々な迷いの連続――井上神父との出会い以降、私の信仰的歩みは、けっして直線的なものではなかった。

当時の気持ちを思い起こすと、その迷いとはひと言でいえば、頭のなかで勝手に理想化したキリスト(教)者に自分自身が、ほど遠いことに対する煩悶であったように思う。

その最中、俳句に出会った。俳句に接したときの無条件の和みと、キリスト教に対する構え、この対照的な感覚はどこからくるのか、わからないままに『聖書』と『山頭火句集』を交互に読み、また祈る気持ちで自らも実作するようになっていった。
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