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神父が書いた詩集  

(一)
 まず、次の言葉に注目したい。

 「『神がイエスをよみがえらせ、高く挙げて主とした』という信仰宣言は、すっぽりとイエスがそのまま余白の次元に入りこみ、生かされ、余白を吹きぬける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹きぬけることとなったということに他ならないのではないか。」(井上洋治著『余白の旅』-思索のあと-「余白」より)

 これは井上洋治神父が長年の思索、精神的彷徨の果てに見つけた信仰宣言クレドと言って よいものである。

その内実はこれからゆっくり追っていくとして、まず注目したいのは 、この表現が大変に日本人的、文学的な文体であるということである。

「余白を吹きぬける風と一体化し、生きとし生けるものの根底を吹きぬける・・・・。」

こうした表現には、どう見ても一般に考えられているキリスト教的、教義的、哲学的な印象はない。

むしろ、西行や芭蕉に代表されるような日本の伝統的文化の流れを感じさせる文体である。

〝ふつうの日本人〟がキリスト教に対して持つ印象はどんなものだろうか。

内村鑑三以来のリゴリズム――真面目かもしれないが、どこか世間離れしていて融通がきかない。

それが固定観念となって、そうしたイメージからはみ出すようなクリスチャンを見ると一言揶揄してみたくなる――こんなところだろうか。

いまだに私が酒を飲み、煙草を吸っていると、「えっ、平田さんってクリスチャンだったんですか?」などと目を見張られてしまう。

困ったものだ。
わが師イエスの生涯 わが師イエスの生涯
井上 洋治 (2005/02)
日本キリスト教団出版局

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