「南無アッバ」を生きる ホーム » 求道詩歌誌「余白の風」 »求道俳句誌「余白の風」第241号

求道俳句誌「余白の風」第241号  

俳句や短歌をつくりながら、
「南無アッバ」の心を養いましょう。

作品とエッセイ *選評

高知・赤松久子
秋風や比叡めぐりし日の遠く
眠剤を飲めど眠れぬ秋の夜
願ひをば聞き入れ給ふイェスなりき
娘(こ)に憑きし悪霊受くる豚いづこ
狂ひしやまだ原発に頼るとは
昼間(ひる)と夜(よ)の同じ日となり嵐去る
嵐去り烏(からす)も戻り南無アッバ
秋晴れや飛行機雲の南無アッバ

 平田先生、『星屑のアダム』すてきな装丁で密度の高い内容のご本、すっかりうれしくなりました。
特に私の心に沁みた四句---

星屑を集めて成りしアダムかな

〝天文学〟大好き人間の私・・・。

救われてなお道はるか秋の雲

「救われている中で神に近づいていく道---深化」と神父さまはおっしゃいました。

棒立ちの鵜飼咳く南無アッバ

むつかしくてよくわからないけど、~~南無アッバの形をとっている唯一の句!

主と共に別の道ゆく公現日

勘違いしてるかもしれませんけど、何となく自分のことみたい。南無アッバ

*赤松さん、あたたかい句評ありがとうございます。
③「あれこれ神さまにお願いするだけでは本当の祈りではない」という人がおり、また「究極の祈りとは願いです」という人もいます。
私はどんどんお願いをしていいと思います。
願い事がなければ信仰に入らなかったかもしれない。
そして、アッバは必ず願いを聞き届けてくださると思います。
ただしそれは、今の私が期待するような形ではないかもしれない。
すべてを摂理によって導くアッバが最も良いと思った形をとるということです。
もし、願っても状況が変わらなければ(変わらないように見えても)、私自身が御心によって変えられるでしょう。


名古屋・片岡惇子
秋日和主の前に吾が時消ゆる
優しさは突然凍みてアッバ父よ
主はどこに葡萄の種の一粒が
大夕焼け混乱鎮めアッバ父よ
主の創造涼し子の涙(るい)アッバ父よ
裸の王ゴルゴタの道誰も居ぬアッバ父よ

*六句中四句が「アッバ父よ」のアッバ讃句になっています。
新約聖書には、三回、マルコ14・36、ローマ8・15、ガラテヤ4・6にこの呼びかけが出ており、当時の教会でもすでに定着した形だったのでしょう。
 イエス自身は、アラム語で「アッバ」とだけ言ったのだと思いますが、そこにギリシア語の訳として「父(パテール)よ」とつけた言い方が、ヘレニズム教団のなかで定着していったのでしょうか。
 とすれば、これはすでにイエスの教えの最初のインカルチュレーション(文化内開花)と言えるかもしれません。
「受容は必ず変容をともなう」との言葉が思い出されます。


豊田・佐藤淡丘
東天や茜色みて鵙高音
三拍子音もかろやか落葉踏む
松虫の高さ絶妙純日本
東天になだれこむさま鰯雲
末枯れの温もりに臥し空仰ぐ

秋の一日、「教会まつり」が終わりました。
当教会もご多分にもれず、高齢化の波に無縁ではありませんが、「チャリティ(愛)」の為に一致協力「持っている以上に与えること」ができたように思います。
聖マザー・テレサは、予ねてこう祈ることを教えておられます。
「どうか自分が傷つくまで与える勇気をお与えください」と。
南無アッバ・南無アッバ・南無アッバ。

*⑤「末枯れ」=「うらがれ」と読みます。
晩秋になって、枝や葉が先の方から枯れていく様をいいます。
場所は、佐藤さんおなじみの「会神の丘」でしょうか。
秋の日が差す林の中で、寝転んでいるのでしょうか。
見上げると木々が末枯れしている様子がわかる。
冬へ向かう微かな温もりを引き立てるように、己は休眠へと向かう木々たち。
ここにもアッバの愛の摂理が感じられます。


大阪・島一木
主よ 子犬もパン屑をいただきます
狐には穴が 鳥には巣があるよ
枕するところさえない 人の子は

*①マルコ7・28。
救いの「パン」は、たとえそのわずかな「屑」であっても、だれにでも同じ救いをもたらします。
そのあと「四千人の供食」の後、8・8には「人々は食べて満腹したが、残ったパンの屑を集めると、七籠になった」とあります。


昭島・新堀邦司
コロポックル姿を見せよ蝦夷の蕗
百日草第一日目の花開く
片蔭は尽きたりなほも歩かねば
コスモスやハングライダー並び飛ぶ
秘境檜原村二十句より
分校は廃校となり蝉時雨
朝まだきはや老鶯は目覚めたり
鳥たちの声の涼しき朝餉かな

*②「百日草」の「第一日目」・・・。
かつて神父と病院の慰問に行ったとき、身寄りのないある方に百日草の鉢を持参したことがありました。
その方はほどなく亡くなられましたが、教会に戻ってきた鉢植えはしっかりと花を咲かせました。
それは何日目だったのか…。


練馬・魚住るみ子
手をつきて這い上る階段上り下りは最適リハビリ毎日はげむ
デイサービスの若きスタッフねんごろに老人(おいびと)導く手とり足とり

*①数年前に二階屋に引っ越した時、住宅会社に勤める若い親戚から、「おじさんたち、できるうちに、なるべく上り下りを頻繁にして、足腰を鍛えてください」と、笑いながら言われたのを思い出しました。

家族なくケアホームに居られいる師の家に咲く木槿(むくげ)切り行く  東京・山岸孝子

峠越え風が運んで秋のうた  東京・岡村康子

葉桜や憩ふルルドの聖母かな  東京・小熊坂満邦

三位一体祭十字架しるす幼き手   東京・中庭栞

*①ちょっとした心配りがうれしい。
②おみ風さまが生きて働く感。
③車中しばしばロザリオを唱えています。
④成長していくにつれて、その意味をかみしめる。


『星屑のアダム』自解  蓮田・平田栄一
するめかみかみかみがわからぬ
左右空席 夜の逃避行
天国の椅子取りゲームの椅子余る

*①こんなふざけたような句を作ってみた時期(90年)もあります。
しかし「かみがわかった」というよりは、当を得ているかもしれません。
②92年、このころ『鳩よ』という雑誌で永六輔さんが担当していた「創句」欄の常連になっていました。
「自由律より自由に」というキャッチフレーズでした。
③95年、「わたしの父の家には住む所がたくさんある。
・・・行ってあなたがたのために場所を用意したら、
戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」(ヨハネ14・2~3より)


【新刊】『星屑のアダム』平田栄一求道俳句集4
本句集には、既刊三句集に採らなかった438句(最多数)を収録しました。
定価1500円+〒180円
〇お申込みは直接、平田までご連絡ください。
ぜひご一読ください。


南無アッバの集い&平田講座(於・四谷ニコラバレ)
日時11/23(土)午後1時半~。
12/28(土)同、
1/25(土)同


栄一求道俳句自解

帳尻は神が合わせる朝の雪
      
福音書に<金持ちとラザロ>(ルカ16・19~31)という、イエスのたとえがあります。
毎日ぜいたくに遊びくらしていた金持ちは、死んだあと陰府に下ります。
一方、貧しかったラザロは天に上げられた、という話です。
アッバは私たちの狭い思いをこえて、この世とあの世を含めてトータルで考え、バランスをとってくださいます。
悪いことが続くときも自分だけが損をしていると卑屈にならず、良いことがあっても当然と思わず、おごらず、いつも感謝しつつ安心して毎日を過ごしましょう。


「余白の風」入会案内
どなたでも参加できます。
購読のみも可
*年六回発行 
*年会費千円(送料共)
*採否主宰一任(本会の趣旨にそって添削する場合があります。)
*ブログ「南無アッバを生きる。」に掲載します。
*お問い合わせはメールにて。
関連記事


category: 求道詩歌誌「余白の風」

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/3114-8b26c0f6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop