「南無アッバ」を生きる ホーム » 平田栄一求道詩歌(3) »「層雲」の趣旨

「層雲」の趣旨  

俳句を純文学の立場から研究する、文壇にも新傾向俳句の出生したる精神を参考としてもらいたいという意味での、新しい機関紙を作ろう――それが私の層雲発刊の趣旨だったのである。(「新傾向時代」より)

 この項目では、新傾向俳句のいわれ、また出現の経過を、子規以降の碧梧桐対虚子という図式を中心に、一挙に語っている。

 「層雲」発行の目的を、もう少し敷衍すると、
①新傾向の研究と普及、
②新しい俳句表現を俳壇・文壇に紹介する、
③俳人に広く文学領域に目を向けさせる、
④この意味で、文壇・俳壇相互の仲立ちする<橋>となること、
と井師はいう。

 この趣意文が俳壇だけでなく、文壇を意識して語られているという点は、当時「ホトトギス」が、夏目漱石の「わが輩は猫である」「坊っちゃん」を連載して、世間的に注目されていたことと無関係ではあるまい。

事実、村野四朗の詩や滝井孝作の小説は、層雲で彼らが言葉を磨いた賜物とも思われる。

 さて、問題の①~④だが、これらを一言で結論できる資格も力量も今の私にはない。

が、全体としていえることは、個々の俳人や結社誌のレベルにおいては、研究も紹介も真摯に行われているという感想をもっている。

実作においても、現代の自由律秀句をいくつもあげることができる。

卑近なところでは、高校「国語」では、「自由律俳句」という言葉はほとんどの生徒が知っており、山頭火や放哉の一,二句は多くの生徒が口ずさむことができる。

しかし、それが、俳壇レベル、大衆レベルで大きなうねりとはなってはいないことが残念である。

 その理由は何か? そして、改善策は何か、これから少しずつ考えていこう。
関連記事


category: 平田栄一求道詩歌(3)

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/308-fcee7bb5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop