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共感の大切さ  

俳句が「わたくし文学」として成立するということは、自分の「わたくし」が自分ひとりだけのものではなくて、他に多くの人の「わたくし」と共感を呼ぶためである。(「わたくし文学」21頁)
万葉集以来の日本における「わたくし文学」の成立経過を説明したあと井師は、「俳句という短表現を文学的に確立せしめたのは、これに「わたくし文学」という性格をもたせたためだ」と結論し、この意味で芭蕉は俳句の開祖であり、この行き方が近代俳句まで一貫しているという。

しかし大事なことは、引用文に示すとおり、日本特有の「わたくし文学」成立の根拠を、「わたくし」自身の感覚にとどまらず、他者の「共感」を呼ぶことに求めた点にある。

これは、この本の巻頭項で、求道的な俳句を奨励しながら、「「みずから」としての自己はとかくエゴになる、「わたくし」になる。それではいけない。「みずから」がすなわち「おのずから」であること・・・・」(6頁)という言葉に照応する。

単なる記録(日記)ではない「文学性」をもつ、ということは、「自分にも他の人々にも通ずるもの」、「みずから」(自己)にして即ち「おのずから」(自然)なるものを捉えることにある。

こうして、「自己」即「自然」となったとき、それは同時に即「自由」でありうるというのが、井師が提唱する「自由律の精神」である。

本項の「わたくし文学」における自他の「共感」の問題は、前項で私が述べた、上下句間の「独断的飛躍」に対する戒めとも受け取れ、興味深い。
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