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共苦神イエス  

要約・南無アッバの集い&平田講座

(テキスト『心の琴線に触れるイエス』聖母文庫)

〇第五一回(続2)

野呂氏の論文から私なりに要約しますと、北森の関心は、贖罪論的なものに絞られており(p.6)、北森神学には、歴史の中の人間の苦しみに同情して、神が痛み苦しむという思想はないといわざるをえません(17)。

そしてまとめとして、神の「痛み」を本質としてしまうというところに無理があるのではないか(25)。

なぜなら、その思想は、痛み・苦しみをそれ自体で良いものとしてしまう危険があり、また苦しみ、痛みと愛は必ずしも比例しないからです。

私たちは、神が喜びであればこそ、救いを望むのです。


以上のような野呂氏の指摘は、井上神父の「・・・・それ【イエスの十字架の痛み】が父なる神にまで行ってしまうときつい・・・」を思い起こさせます。

結局、北森神学は、怒る神が前提の父性原理が強い神学、ということになると思います。

戦後の日本人が欲した苦しみを共にしてくれる神(=「共苦神」と呼ぶべきか)は、遠藤の同伴者イエス、井上のアッバ、また青野の「ために」でなく「ともに」のキリスト論など、いわば「母性神学」をしてようやく開花したといえましょう。
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