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平田栄一求道俳句集『悲愛のこころ』評=新堀邦司  

2018年11月
第235号より

俳句や短歌をつくりながら、
「南無アッバ」の心を養いましょう。



平田俳句はとてもすばらしいと、改めて思いました。いたるところ(句)から「南無アッバ」の声(祈り)が聞こえてくるようです。

次の句が印象に残りました。


 <聖胎祭汚れちまった手で祈り>

「汚れちまった手で祈り」はいいですね。

私など、いつも汚れちまった手どころか、「汚れちまった心」(罪で汚れた心)で申し訳なく主に祈っています。

中原中也の詩の世界に通じるものがありそうで、御句はとてもよいと思わされました。


  <愛という掟で裁く神の留守>

とかく、私は自分のいたらなさを棚に上げて、他人を非難したり、裁いたりする傾向があります。

きっとそのような時には、神様のことを忘れてしまっているのでしょう。

「神の留守」の下五は、こうした自分にぴったりとあてはまります。

自戒の句とさせていただきます。


  <エデンより川流れ来る星祭>

 そうか。天の川の源流はエデンの園だったか。どおりで美しいはずだ、と叫んでしまいました。

天の川の源を見つけるとは。

平田俳句はおそるべし。


  <八福は主と共にあり春の丘>

 とてもいい句ですね。

かつてイスラエル旅行で、ガリラヤ湖畔の丘に立つカトリック教会を訪れたことがあります。

ブーゲンビリアの咲く、美しい丘に立つ聖堂は、神様の祝福に満ちて輝いていました。

聖堂から眺めたガリラヤ湖はサファイアのようにきれいな色をしていました。

あの時の光景を思い出させてくれる句です。
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