「南無アッバ」を生きる ホーム » 井上アッバ神学入門 »10.救いの原初的経験

10.救いの原初的経験  

たしかにキリスト教とは、「イエスをキリスト(唯一の救い主)」ととらえる信仰であることは間違いないのですが、その捉え方が問題なのです。

イエスを「信じる」というときの内実が問題になるわけです。


カール・ラーナーという現代のカトリック教会を代表する神学者は、次のように述べています。


「救いの意義の原初的な経験とは、ただ単純素朴に、『われわれは救われた、なぜなら、われわれと同じこの人間が神によって救われ、このことによって神が御自分の救いの意志を、歴史の上で現実的に、撤回不可能な形で世界的に実在させたからである』という経験であった。

これに対して、外から持ち込まれた解釈は、一つの可能性ではあるが、だからと言って絶対に不可欠なものではない。」

(百瀬文晃訳『キリスト教とは何か』三七六頁)


イエスの生涯と死と復活を目の当たりにした弟子たちの「救い」の「原初的な経験」とは、人間イエスが神に救われ、神の救いの意志が実在化したことによって、同じ人間であるわれわれも救われた、という「単純素朴」なものだったというのです。

ここからいわゆる「刑罰代償説」他の様々な救済論(後述)が展開されていくわけですが、それら「外から持ち込まれた解釈は、一つの可能性ではあるが、だからといって絶対に不可欠なものではない」ということです。

つまり、「刑罰代償説」や「贖い理論」等は、けっして「イエスによる救い」の表現として唯一絶対のものではないということになります。


つづく
関連記事


category: 井上アッバ神学入門

tag: 心の琴線に触れるイエス,
tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/2856-af29788f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

日本人にわかるキリスト教を求めて

南無アッバの集い&平田講座

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

全記事表示リンク

リンク

検索フォーム

▲ Pagetop