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6.佐古・井上対談  

ここで思い出されるのは、井上神父と文芸評論家かつ牧師である佐古純一郎氏との対談集『パウロを語る』のなかにある次のくだりです。

井上神学の特徴が的確にわかりやすく述べられており、また本論でも以後、度々触れることになるので、少し長くなりますが抜粋してみたいと思います。


佐古「‥‥イエス・キリストを通して神が救ってくださったという、そのところに私はどうしても十字架を置かずにいられないんです。」

井上「私は、十字架というか、救ってくれたものはやっぱりイエス・キリストご自身で、
‥‥
だから、十字架と復活というのは――もちろん十字架と復活がなければどうにもならないわけですけれども、それはキリストの救いの業のいわば最終点であって、そこが佐古さんとニュアンスのかけ方がちょっと違うんだと思うのですけれども、私は十字架というよりも、やっぱり復活じゃないかと思うんですがね。」

佐古「‥‥イエスはいったい何で殺されてしまったかということになっちゃうと、イエスをあんな苦しみに遭わせたのはおれじゃないかというところに出てきて、やっぱり罪の、『わたしはなんと惨めな人間なのでしょう』という問題が出てきているんですな、私なんかは。」

井上「私はね、むしろ、イエスの十字架というのは私たち一人一人の人生の苦しみをそこでいわばmitleidenして(共に担って)くれたという感じです。

これからの私たち一人一人の苦しみというものを、あそこにおいてイエスはすでに受け取って、神様のもとにさし出してくださっているんだという感じです。」

佐古「そのことは、まったくそうですわ。」

井上「だから、『惨めな』というか‥‥。

もちろん、私たちのために死んでくださったというのはあるわけですけれども、そのときのニュアンスの置き方ですかね。例えばパウロとヨハネを並べると、パウロは、ユダヤ人に対してだと思うのですけど、もっぱら犠牲とかそういう面を強調しますね。

ヨハネの場合は、むしろギリシャ教父たちが言うように、こちらに来てくださって、みんなをぞろぞろと愛で包んで、また向こうに戻ってくださったという感じがありますよね。

だから、私はそっちのほうがどうも考えやすいというか、何か、私の人生を先につかまえてくださって、これからの死の苦しみを、もうすでに先に一緒に歩んでくださって、もう行ってくださったから、私の人生は保障されているというか、キリストがもっていってくださった。


自分が、実際は罪人なんですけれども、だけど自分が傷つけたというか、そういう感じが弱いというんでしょうか。むしろ向こうのほうがやってくださっているという‥‥。」

佐古「‥‥井上さんは、伝道をなさいますときに、犠牲ということはどの程度お話になられますか。」

井上「私は非常に少ないです。」

佐古「そこだな、やっぱり」

‥‥‥‥

佐古「そうしますと、十字架のイエスの死ということをそれほど深刻に犠牲として意味づけるということは必ずしもなさいませんね。」

井上「ええ、むしろ汚れを取り去った、神との調和を回復したという感じだと思います。」

‥‥‥‥

佐古「‥‥ローマ人にはローマ人のごとく、日本人には日本人のごとくということがパウロの伝道の根底にあるとしたら、井上さんは十字架の血ということはあまり伝道の大きなテーマにはなさいませんね。」

井上「私自身が辟易するわけなんですね。ちょっと、どぎつくて。‥‥

私自身が血というと何か血生臭いという感じで、ちょっと辟易する感じがありますね、正直言って。

だから私はいつも十字架で思うんですけど、復活の、秋の空のような、すうっと澄んだ、平安の中にある十字架がほしいですね。

もし私が本当に芸術家だったら、私はそういう十字架をつくってみたいと思います。

十字架だけで、復活がないでしょう、普通は。教会の屋根の上でも、十字架だけが立っているでしょう。私は、あれはちょっとおかしいと思うんです。復活に包まれていなきゃいけないと思うんです。」

佐古「それはそうです。」

井上「だから、十字架を見ているとき、その十字架のありがたさが、やっぱり後ろの御父の大らかな、それこそ秋の空のような静寂に包まれているというのがいいですね、私はやっぱり。」

佐古「それはよくわかります。井上さんのほうが文学者だね。美意識ですよ。(笑)」
(一八六~一九〇頁)

これは、キリスト信仰の根幹である〝イエスによる救い〟をめぐって、佐古・井上両氏の「ニュアンスの置き方」の微妙な違いがよく出ている対話なので、わたしの記憶に強く残っているのです。


つづく
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