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5.U先生の思い出  

先年、わたしの高校時代の恩師U先生が亡くなりました。

フランス政府から功労賞をもらうほど語学教育に心血をそそいでこられた方で、退職後まだ間もない六十代半ばでした。

先生の生き方にあこがれて教職をめざした教え子は数知れません。

わたしもその一人といってよいでしょう。

説教や改まった指導はまったくせず、後ろ姿で自然に生徒を導いていく、そんな理想的な教師でした。


U先生は後半生を、ジャンヌダルクの研究に捧げていました。

そうした生活のなかで長い間カトリックに関心を持ちつづけ、親しくしていた神父もいたのですが、けっきょく受洗には至りませんでした。


二十年ほど前、わたしがカトリックになったことを報告に行くと、「君、よく決心したなあ」といたく感心されてしまい、わたしは、「そんな大変なこと(受洗)をしてしまったのかな?」と少々不安にもなったものです。

しかし思い返してみると、いつだったかお酒を飲んでいるときU先生はわたしに、「自分がカトリックに(これだけ関心を持ちながらも)ならないのは、(罪を)懺悔(告解)しなければならないから‥‥」と寂しそうな顔でぽつりと漏らしたのを聞いたことがあるのです。


先生は数年前病に倒れ、その後洗礼を希望したまま亡くなりました。

不治を宣告されてしばらくは、毎日数十回も「葉っぱのフレディ」の朗読テープを繰り返し聴いていた、といいます。


葬儀後わたしは奥様から、「カトリックへの求道は主人の遺言のようであり、自分もずっと考えていたことなのです」と告げられました。

そのとき、やはり二十年近く前わたしが転職の相談に伺った際、お宅のテーブルの上に読み差しの井上洋治著『愛をみつける』が置いてあるのに気づくと、先生が「‥‥ああ、これは妻が読んでいるんだ」と言ったことを思い出しました。


その奥様から先日、一つの質問を受けました。

「実は、今わたしの最大の関心事は、大好きだった夫に死後再会できるのだろうかということなの‥‥。」

その上で、「キリスト教の〝復活〟ってどういうことなんでしょうね?」という問いなのです。

わたしは「やっぱり来たな」と思いました。

それは、わたし自身が初対面の井上神父にいきなり質問したのも、「(井上)先生、復活とはどういうことですか?」というものだったからです。



こうしてU先生の思い出と現在の奥様の心情を考え合わせてみると、わたしのなかに様々な想いが去来します。

U先生はずっと〝罪〟の問題を考えていたのではないだろうか、そして晩年は病苦と闘ってこられた。

また奥様は娘さんたちが嫁いでしまった家に独りいて、老いのなかで〝復活〟に関心をもっておられる。

わたしにはこうした一連のことが日本人として率直に、キリスト教の根本を問うているもののように思えてならないのです。


罪、病苦、老い、復活‥‥わたしたちが直面するこうした現実問題にキリスト教はどう答えられるのだろうか、と改めて考えさせられたのでした。

つづく
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