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4.聖書は実践指導書  

「どんなに多くの書物を読み、知識をたくわえ、そこへ行く道を知っていても、そこへ向けて出発しようという一念を起こさない人は、ほんとうの意味でそのものを知ることはできないでしょう。


聖書、特に新約聖書が行為を要求する実践的指導書であり、私たちに永遠の生命への道を説きあかしてくれる書であるなら、一念発起してその教えに従おうと決意し、行為を起こさないかぎり、ほんとうの意味でイエスの教えをわかることはできないと思います。」

(『日本とイエスの顔』三O頁)


数年後、井上神父に出会い、この言葉が神父自ら(新約)聖書を「一念発起してその教えに従おうと決意し、行為を起こ」してきた体験に裏づけられたものであることを知って、わたしは大きな衝撃を受けました。

「聖書は信仰の書である」とか、「聖書は心で読め」とかはよく聞きますが、「聖書は実践的指導書である」と身をもって断言できる人がどれだけいるだろうか・・・・
ここにヒルティが指摘したキリスト教の、聖書の実践性を生きぬいた神父の姿を目の当たりにして、わたしは感動せずにはいられませんでした。


井上神父はリジューのテレジアの生き方に魅せられて、「どこまでもテレジアを追いかけることによって、テレジアの掴みえたものを自分のものにしてみようと決心し」(『余白の旅』三九頁)洗礼を受けます。

そして「とにかく力の限り、いけるところまでこの白い道の上を歩いていこう」と、彼女と同じカルメル会に入会し、フランスで七年半の修道生活を送ります。

この一途さに、神父の抜き差しならぬ求道心と実行力を見て取ることができます。

まさに生涯をかけて聖書を生きようとしたのです。


つづく
(『心の琴線に触れるイエス』より)
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