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3.ヒルティを読む  

わたしが聖書の内容やイエスの教えに具体的に出会ったのは、四年生になってからです。

大学に在学していた一九七四~七八年は、二度のオイル・ショックにすっぽり挟まれた時期で、卒業する頃はそれまでと打って変わって就職はままならなくなっていました。

いくつかの企業を訪問してはみましたが、ぜひともと思えるような働き口は見つかりません。

友人も皆一様に苦戦していました。


暗い気持ちで過ごしていたとき、三田の学生生協の小さな書店でふと目にとまったのが、カール・ヒルティの『幸福論』(岩波文庫)でした。

それまでも、アランやラッセル、トルストイなどの『幸福論』や『人生論』を、そのタイトルに惹かれて読んではいました。

しかし今度は就職難という自分の現実を目の前にして、一生の仕事とは、本当の生きがいとは何なのだろうか、と本気で考えざるを得なくなっていたのです。

そして、あの受験時代に自らに課した「大学四年間のうちに、確たる人生の方向性を見出す」という課題が、まったく解決していないことに改めて気づかされ、呆然としました。


ヒルティは『幸福論』のなかで、幸福について実際の人間生活に即し具体的・実践的に語っており、私は貪るように読み進みました。



「働きのよろこびは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生まれない。

それは教訓からも、また、残念ながら、毎日証明されるように、実例からも、決して生まれはしない。」

(「仕事の上手な仕方」)


「ただの遊戯でなく、真の仕事ならどんなもの
であっても必ず、真面目にそれに没頭すれば間もなく興味がわいてくるという性質を持っている。」

(同)


「自由に至る道は、われわれの力の及ばない物をすべて軽視することにある」

(「エピクテトス」)



こうした言葉が、焦るわたしの気持ちを楽にしてくれました。


ヒルティは、自己教育を達成することのできる「ただ二つの方法は、ストア主義とキリスト教である」と断言します。

そして後者に関しては、福音書のイエスの教えを素直に受け入れ実行してみよ、そしてその真実をためし、それによって心によろこびが与えられることを経験できたなら、その教えを信じたらよい、と勧めます。

わたしは、このようにヒルティが自信をもって説く〝実践的〟キリスト教に接して、しだいに、聖書を本気で読んでみようと思うようになったのです。

わたしがはっきり「聖書に出会った」と言えるのは、この時であったと思います。


(つづく)

(『心の琴線に触れるイエス』より)
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