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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

アッバ讃句コーナー(第11回)  

「風」第98号2015年春掲載

*選者コメント
神父様のご帰天一周年に寄せて
ひと枝の啓翁桜たてまつる師の道行に沿いて送れよ  金尾哲也

 道行に啓翁桜咲きいでし南無アッバの祈りに添いて  金尾裕子

*本誌九七号井上洋治神父追悼特集拙作<登りゆく目白坂には満開の河津桜が風に吹かれり>と同じ現場での作歌とみました。それぞれに神父様との思い出は尽きない。同信の道ずれとして、ご縁と絆を改めて思う。

南無アッバ山茶花真白二人目の産月近きまご孫娘を労る  魚住るみ子(練馬)

南無アッバ肩冷ゆる夜半目覚めたりアッバの祈りめつむりとなふ

*年明けに米寿を迎えられる由、おめでとうございます。私の亡父が米寿の祝いの時、まずは母に感謝の言葉を述べていたことを思い出します。どうぞいつまでもお元気で。

南無アッバ二人目曾孫も男の子なり降誕祭のその日生れぬ

*「二人目も男の子」!末は神父かイクメンか。昔は家の跡継ぎとして男子出産を喜んだものですが、今はまた違った楽しみがありますね。おめでとうございます。

真中に主が居て日溜り草の花  片岡惇子(名古屋)

*いつも「主」が中心にいる日常は、心も安定する。

落葉の全てが終り祈りの時

*「全て」が終わったように思える時こそ祈りの始まり。

時雨るるや生かされ生きて生かされる

*「生かされる」ことと「生きる」こととが一致する瞬間。

一瞬の決意寒水手に受ける

*お手紙に「今年はあれもこれもでなく、一点だけ励んでみます」と「決意」を新たにされていました。わたしたちの信仰も、「南無アッバ」の「一点突破」型でいい!

大寒や寂しさだけが固まりぬ

*「寂しさ」は「固まり」、喜びは拡がるとも。

この冬木早暁の月かかりけり  佐藤淡丘(豊田)

この道や冬満月の影や濃し

 冬暁の天空は、なんと美しいことだろう。上弦の月に明けの星(金星)が、風鈴のように寄り添い神秘な輝きを放ってくれる。
 この神聖な光を体にくるみ、「南無アッバ」と唱え、大地に三度跳躍を繰り返すとき、心身共に、宙と一体化する感覚にとらわれるから不思議である。これを信仰というのでしょうかね。お笑い下さい。

*「会神の丘」では無限に俳句やアッバ讃句が生まれそうですね。そうした宗教体験は、「宙と一体化する感覚」と共に、淡丘さんの血肉となって信仰を成長させてくれるのだと思います。

連嶺や一つ残りて春の星

摘みたればさみしき記憶なずな薺かな

早朝、「会神の丘」で独り祈るとき、一陣の風が、まさに「おみ風さま」となって通り過ぎるのを何度か味わうことがあります。
三位一体の神さまは、こうして触れんばかりのお恵みを下さるのですねぇ。
再びひれ伏して祈りました。南無アッバ、南無アッバ、と。

*「会神の丘」での「南無アッバ」。これが淡丘さんの「一点突破」ですね。昔、ある神父様に「最近ロザリオをやっているのですが、これをやっていれば何か見えてきますか」と聞いたことがありました。すると、「十年続けたら、何も見えなくてもいい、ということが見えてくるよ」と言われたことを思い出しました。

淑気満つ南無よアッバよLET IT BE  瀧野悦子(京都)

*「南無よ」がユニーク。修辞的にはおかしいのですが、その心はよくわかります。私なども、よく「アッバさま」などと言ってしまうのですね。そのまま訳したら「おとうちゃんさま」ですから理屈では間違いでしょう。しかし祈り言葉は理屈ではありません。お任せの心から思わず出てくる言葉を大事にしたいと思います。「南無アッバ」「おみ風さま」・・・のように。

会ふ度に大きくなりし孫七人戦無き世を祈るアッバに

*世代交代は寂しくもありうれしくもある。

今ここが神の国だと神父説くアッバとわたしそしてあなたも

*神の国は完成に向けて、すでに始まっている。

復活の頃に良くなるきっとなる癌病棟に友をのこして

*希望は確かに私たちを支える。それを気休めというのは傍観者の言葉。

み恵みで旧友と会ふ秋の昼  赤松久子(高知)

友情に時の隔ては無かりけり

昔のプロテスタントの友人が、東村山から訪ねて来てくれました。二人の体調と生活日程から、実際に会える瞬間があるなど奇跡としか思えず、「アッバは本当に必要なものはちゃんと与えて下さるのだ」と、しみじみ感じたことでした。

*お友達との再会を準備してくださったアッバ。その喜びと感謝の気持ちが御作に表れています。クリスマスカードありがとうございます。そこに記された一句も頂きました。

星々の示すブラックホールかな

*輝く「星々」が指し「示す」のが、「ブラックホール」という暗闇――あたかも神の「無」のようです。

宇宙より見ゆる高知の小さき灯よ

*逆に、高知から見れば皆「小さき」星々よ。

禁断のエデンの林檎甘かりし    新堀邦司(立川)

*「わかっちゃいるけど止められない」。人の業や欲望はどうにもならない。しかしそういう、どうしようもない私たちが構成するこの世を、アッバは裁かず「然り、よし!」とされた。

立つときも小鳥は赤き実を零す

*「立つ鳥跡を濁さず」ということわざがありますが、どんな所からも去るときは必ず痕跡を残すもの。できるだけ良いものを残したいのが人情ですが、そうはいかないのが人生。そこに「ゆるし」の福音がある。

体調も心も崩れてみ光とあう  山本久子(庄原)

*「み光」や「あう」など、ひらがなが生きている。幼子の心そのまま、なるがまま。

この痛みを大切に南無アッバ

*こういう境地は「十字架の逆説」がわからなければ出てこない。

南無アッバ、薬をポケットに列車に乗る

*なぜか芥川の「蜜柑」を思い出しました。

冬の空一人が逝きて一人あ生る  平田栄一(蓮田)

*井上神父様が亡くなられてはや一年。私のところには昨年七月に初孫が生まれました。時代の移り変わりを感じます。

片言に読める福音日向ぼこ

倫理説く聖句は嫌い銀杏散る

*生前、神父様から「道徳主義から脱した日本のキリスト教を模索してください」とお手紙を頂いたことがありました。

罪の棲む身にも望みや曼珠沙華

*アッバの前に素直に頭を下げること、そこに希望が沸くという福音。

草萌や信じるもののあるように  早見紀美恵「驢馬」
伝えてよ校庭はみな牡丹雪  あざ蓉子「花組」
夕顔や薬を忘れないように
裸木や徐々に夫婦になってゆく  森須蘭「祭演」
巻き戻し出来ぬ人生蜜柑剥く
 ――アッバ讃句応募規定――
 井上神父の「アッバ讃句」にならい、皆さんの南無アッバの祈りを短い求道詩歌にしてお送りください。「風」読者であればどなたでも応募できます(無料)。「~~南無アッバ」という形のほか、俳句・短歌・川柳・自由律・一行詩などでもけっこうです。採否選者一任。投稿先=平田栄一

category: アッバ讃句コーナー

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