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宗教は損か  

芭蕉は・・・・「此の道に古人なし」と揚言した。この精神に立ち還って、俳句を一つの道として樹立しなければならないと私は信ずる。・・・・
俳句というものは「俳句の道」の上において、道として研究すべきものである、と私は信ずる。・・・・
俳句を作って自分で楽しむ。それは一おう、それでよろしい。だが、それをもう一つ掘りさげて、俳句を創ることをもって自分を創るという方法があるのではないか。それが、日本ふうに言う「道」の理念である。
(「道ということ」2-3頁)

井泉水は、「道」にこだわった。
このことが、多くの文学者からはよく思われない。
「井泉水の晩年は、宗教に傾き、文学的価値が乏しい作品となったことは、残念」との論である。

遠藤周作が文壇にあって、宗教にかかわることは得なことではなかったのではないか、とは、先日NHKテレビ「心の時代-すべては風の中に」での井上神父の言葉である。

だが、井泉水(仏教)も遠藤(カトリック)も、宗教と関わることを止めなかったことはもちろん、すべての創作の根源に置いた。

一般の見方とは逆に私にとっては、これだけ生き方や「道」にこだわる俳人・作家であるがゆえに、大きな魅力となっている。
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