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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

求道俳句誌「余白の風」第209号 2014年7月 発行  

*日本人の心の琴線にふれるイエスの顔を求め、福音を生きる

神父様の遺言(下):平田栄一

井上神父様は、だんだんお身体が弱っていく中で、ゲッセマネの祈りを繰り返していました。救急車で運ばれるときも、「アッバ、アッバ、アッバ」と繰り返していたそうです。やはり、お苦しみになったんだと思います。

晩年の神父様は、お話のたびに、老いの厳しさを語っていましたね。わたしのブログにもアップしましたが、二〇一一年の「風の家」二十五周年と翌二〇一二年の二十六周年の講話の中で、神父様は、老いの厳しさを語りながらも、次のようにおっしゃっていました。

「アンマン空港で聞いた男の子の『アッバ、アッバ』という叫びを、毎晩思い出しながら、ゲッセマネの祈りのように、『アッバ、アッバ』と唱えています。アッバはこういうわたしたちの祈りを必ず聞き入れてくださっていると思います。それは、今すぐどうこうとは言えないかもしれませんが、人生の最後の完成――死ぬ時に、その人にだけ、アッバが手を広げてお迎えに来てくださるのだ、そう思っています」と。

 そしてさらに、「しかし、それが最後の時まで続けることができるのか、はなはだ(自分には)自信がないので、ここにおいでくださっている皆様に、わたしが最後の時まで「南無アッバ」とお祈りを唱えて、アッバのお迎えを受け入れることができるように、お祈りしていただきたいと、思います。よろしくお願いいたします。わたしも、皆様の上にアッバの安らぎがありますように、お祈りさせていただきます」と結んでいます。

 この二年前のご本人の願いどおり、本当に、「南無アッバ、アッバ、アッバ」と唱えながら、アッバに迎えられたのでした。
 そういう意味で、神父様はいろいろご苦労もあったけれど、最後まで皆様に支えられ、祈られ、幸せな人生を全うされたのだと思います。

葬儀後、出棺の時、ものすごい強風――「春一番」が吹いていました。私は斎場へ向うバスの中で、「この強風、まさにプネウマに運ばれての出棺ですね」と言ったら、「プネウマはもっと優しい風ですよ!」とたしなめられました(笑)。

かつて二〇〇九年十二月、井上神父様が南無アッバミサの中で、「私からの遺言として聞いてもらいたい」というような前置きをして次のような話をされました。それは、神父様の生涯の総決算として、これからの日本のキリスト教の方向性に対する三つの提言でした。すなわち、

①テレジアに教えられたように、神様は「アッバ」と呼べる母性原理の強いお方であるということ。
②今後は、だれでも近づきやすい「下からの神学」が大切なこと。
③自然を友とする日本人には、即自然的神観、汎在神論が馴染みやすいということ。

という三点です。
井上神父様はまた、二〇一一年七月九日に、東京教区の岡田大司教様と対談されました。お聞きに来られた方も多いでしょう。あのとき、長い対談の最後の所で、大司教様が「では、井上神父様は、今の教会は具体的に何をすべきだとお考えですか?」と聞かれました。しかし、そのとき井上神父様は、具体策を示されなかったのですね。あえてそうされたのかどうかはわかりません。僭越ながらわたし自身は、この際だから何か一つでも具体案を言われた方がいいのに、などと少々歯がゆく思ったものです。

しかし、今は、そのとき何の提案もされなかったのは、あの「遺言」を聞いたわたしたちに対する宿題をお出しになったのではないか、そう思うようになりました。すなわち、アッバの「母性原理」、「下からの神学」、「汎在神論」をキーワードに、わたしたち一人ひとりが、具体的に日本人の心の琴線に触れるイエス様を求めていきなさい、ということです。

 それは何も、世間に目立つ大きなことをする、というのではなく、毎日、事あるごとに「南無アッバ、南無アッバ」と、神父様の、あの最後の実践にならって、唱えることかもしれません。各自ができることを実践する。井上神父様は、天国でそう望んでおられると思います。

 ずいぶん前ですが、あるきっかけがあって神父様に、この「風の家」運動は今後どうなるんでしょうか、と聞いたことがあります。その時、神父様は次のようにおっしゃいました。

「この運動が、アッバの御心にかなっていれば、自然に広まっていくだろうし、そうでなければ消えていくまで。それでいい」と。

 わたしはちょっと寂しさを感じましたが、「風の家」運動そのものが、すなわち「南無アッバ」なんだなあ、肩の力を抜いて行けばいいんだなあ、と思い直したのでした。

井上神父様は、今はアッバの懐で、パウロが言ったように「顔と顔を見合わせて」「アッバ、アッバ」と唱え続け、わたしたちの人生にお力を貸してくださっていると思います。わたしたちもこの神父様にならって互いに祈り合いながら、進みましょう。

登りゆく目白坂には満開の河津桜が風に吹かれり
この坂を登りて学び下りては共に飲みにも行きたる日々よ
日本人の心に響くキリストを追いし生涯悔いはなからん
「復活とは何でしょうか」とのっけから聞きたる吾にニコリと返す
ある時は渡辺一夫の家に行き美空ひばりを歌いしことも
晩年は誰にも会わぬと決めていた神父の覚悟今に思えば
遠からずこの日が来ると思ってた安堵のうちに訃報を聞くも
「南無アッバ、アッバ、アッバ」と手を振りて末期は喘ぎ逝きしと聞けり
ご遺体の安置されたる司教館しずかな春の足音だけが
「風の家」の神父の出棺いままさに春一番はどどっと吹けり
神父より洗礼受けし宇津井さん後追うように六日後逝けり
今頃は遠藤さんと天国で一杯やってるに違いない

アッバ、アッバ、南無アッバ

(「風」第九六号=井上洋治神父追悼号に同時掲載)

会員作品とエッセイ(◎○主宰推薦句)

赤松久子(高知)
読み耽る追悼号や梅雨の日々
一人ひとり神父様とのつながりのありしものよとしみじみ思ふ
◎「南無アッバ」唱へきれずに末期には「憐み給へ」になるやも知れず
苗床に若き芽育ち師の思ひ継ぎゆく姿たのもしきかな
師を偲び春の一日は暮れにけり
菜種梅雨ベッドに臥して南無アッバ
世界中争ひ絶えぬ五月かな
恐ろしき夢より目覚め南無アッバ
母の日のクッキーつまみ南無アッバ
南無アッバ川面を渡る青葉風

F・井上(八王子)
天へ向く麦穂神神しく見入る
○清浄な香にどくだみ蕺草の孤を愛でる
行いは別に聖句を抱いている
友からに見舞いメールに笑むベット
リハビリのリズム祈りと和合する

魚住るみ子(練馬)
井上洋治神父様を偲ぶ会
うつしゑは何時ものお顔み諭しのくち唇より出づると思ほゆるかな
流人法然の船端に遊女たち弥陀の救ひをもとめ寄り来る
テレビ放映・こころの時代・沈黙
○「踏むが良い」いみじくも賜ひしみ言葉アガペー悲愛の極み南無アッバなむ
南無アッバゆだねまつりて安んぜよゆるしの言葉身にしみわたる

片岡惇子(名古屋)
東北釜石にて          
若葉して震災の影霧かけり
空洞の命包んで藤ゆれる
夏雲に痛き心をぶっつけぬ
露涼し憂ひ無き子の目に遊ぶ
○九条を遺産としたし夏の雲

寄贈誌より  

 「日矢」五九二・五九三号・新堀邦司
孫娘の
生国は菜の花薫る高知かな
三月十一日
復興のなほなほ遠く余寒空
就中今日の桜や基吉忌
○師よ来ませ花の浄土は此岸にも


毎月の南無アッバの集い&平田講座 於:四谷ニコラバレ 7/26(土)、8/23(土)

―――――「余白の風」入会案内―――――
どなたでも参加できます。年六回奇数月発行。
参加希望はサイドバー「余白メール」でお知らせください。。採否主宰一任。年会費千円。

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