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日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

アッバ讃句コーナー(第五回)=「風」第91号  

 今年は猛暑が続きましたね。皆さま熱中症は大丈夫でしたか? 今号もたくさんの作品の中から汗を流しながら、選ばせていただきました。暑さを吹き飛ばす佳作をご紹介します。なお、今回からお住まいの県市町村を付記させていただきます。日本の多様な地域性も作品の幅を広げます。

月桃の乳色の花雨浄む   河口儀子(石垣)

石垣での充実した暮らしがよく伝わってきます。私は三十年前に新婚旅行で行ったきりですが、最近は観光開発ですっかり環境が変わってしまった由、アッバの手になる自然をなんとか残したいものですね。

紫陽花に牧師の犬も目を細む   松永弘之(品川)

動物の目に映る花はどんなものなのでしょう。「イエスの見た(目で)空が見たい」とは井上神父がよくおっしゃることです。

目に見えぬものを求めて風を聞く  赤松久子(高知)
アンデレの如く床しき額の花

いつも精力的な句作に頭が下がります。求道の一途さと詠み口の素直さが表裏一体になった作品を楽しませて頂いています。

母の日や産んでくださりありがとう  石川れい子(稲城)
豆の花咲かせて天へ橋架けり

太宰治は「生まれてすみません」と書きましたが、父母への心からの感謝は、相当な苦労と歳月の裏づけあればこそでしょう。

ロザリオを繰り沐浴の順を待つ病の友へ思いを馳せて  フランシスカ井上(八王子)

少し手を入れました。ルルドへの巡礼の旅にロザリオを繰る姿が目に浮かびます。私は時々ロザリオを使って「アッバ アッバ 南無アッバ」とやっています。

落ち椿蕾のままを愛しけり  片岡惇子(名古屋)
行く春やつひの住家の闇匂ふ

傾聴ボランティアをしながら、豊かな老後をすごされている作者の姿が思われます。「人間の目にどんなに不完全に見えようとも、死は完成の時」とは井上神父が繰り返し説くお言葉です。

池に東風水鳥の列吹かれゆく  佐藤淡丘(豊田)
花の塵しづかに踏みてゆるされる

他に、<浸り浮く蛙の背中なに思ふ><春の雨池をたいらに平らにす><老鶯のさみしからむと我に告ぐ>など全句、万物を生かす水を囲んで、鳥、蛙、花が賛歌を歌います。

たかんなの傷を両手で撫でてをり  西川珪子(一宮)
神宿る新樹の森の深さかな

「たかんな」=竹の子。私たちが生きていくとき避けられない「傷」や罪。しかしそこに寄り添う悲愛とゆるしの現実が、「撫でてをり」に集約されています。

「本当に」などとたやす容易く思ふまじ神の御掌なる領域なれば  井口萬里子(三浦)
キリストの眼ざし容るるところなき空しさの中白梅に遇ふ  

こちらもたくさんの歌を送ってくださいました。第一首、季語を入れる俳句にはなりにくい神学的な内容も、短歌ならば盛り込める。そういう強みを感じさせる一首。

寒の内苦楽ありても御手の中  長谷川末子(秦野)
浅知恵のあせりを神は知り給ふ

小我をこえた大我的境地を目指す性向は、短歌より俳句に強いように思います。俳人長谷川櫂氏が、東日本大震災でまず作ったのは短歌でした。

空蝉の軽ろき命や南無アッバ  喜多正規(奈良)
秋風に吹かれて散歩南無アッバ

軽みと「南無アッバ」は縁語のようです。西欧文化の重厚なキリスト教に対して、「ふわっ」とした生き方を感じさせる日本型のキリスト教があっていい。

風の子と言はれてみても春炬燵  瀧野悦子(京都)
雪雪だ子等いっせいに駆け回り

この二句から始まって、<淡雪や御手を広げしマリアさま><雪白しわたしの心も白くなれ>そして<かんしゃくのくの字を取りて今日一日南無の心で過ごしたきもの>へと精神遍歴の一連として読むことができます。すなわち、第一、二句=無邪気な日常。第三句=宗教世界への気づき。第四句=宗教的実存へ。そして第五首=再び日常に帰るときの願い。

老い深み忘れ易きをかこてども佳き話聴くよろこびをなむ  魚住るみ子(練馬)
生涯に悔なき人はあらざるをはな桜花爛漫の下かげに佇つ

記憶力の衰えは仕方ないと思いつつも、寂しくなることも。それだけに一瞬一瞬の今を大切に生きようとする作者の姿勢が「よろこびを」もたらす。

きよしこの夜妻と二人のクリスマス  新堀邦司(立川)

独立していった子供たちの後には、久しぶりの夫婦二人だけの生活が戻る。一抹の寂しさはあっても、主と共なる満ち足りた時間が流れる幸せ。

時は満ち神の国が近づけば女子は集いぬパルコの五階  平田栄一(蓮田)

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