「南無アッバ」を生きる ホーム » 求道詩歌誌「余白の風」 »俳句で学ぶキリスト教「余白の風」第204号-2013年9月発行

日本人にわかるキリスト教を求めて

26May2012+011_convert_20120623181132_20120623222548.jpg井上洋治神父は、遠藤周作氏と共に、日本人の感性で正直に受けとめられるキリスト教を一生をかけて模索し、1986年「風の家」をはじめました。このサイトでは、「風の家」運動を引き継ぐ平田栄一が「求道俳句」ほか、日本人キリスト者の道を模索する試みを紹介していきます。お問い合わせ 略歴 著書

俳句で学ぶキリスト教「余白の風」第204号-2013年9月発行  

日本人の心の琴線にふれるイエスの顔を求め、福音を生きる

会員作品とエッセイ(*主宰コメント)

瀧野悦子(京都)
どの子にも守護の天使や夏休
炎天に生徒見守る聖母像
朝涼やパウロと刻む十字墓
夕立にヘルプヘルプよ南無アッバ

*①②「どの子にも守護の天使」がいる、「聖母子像」が「生徒」を「見守」っている、という作者の暖かいまなざし自体が、子供たちを見守っている。短い句にも人格が表れる。

赤松久子(高知)
のら猫の姿ちらほら夏の夕
片陰を主に従ひて女たち
マグダレナ終の住処は山と聞く
蝉しぐれ浴びつつ祈る南無アッバ

自分が築いていくのではあるが/その自分が築いていく生涯が/神の働きの場であるということが/どれだけ体の中に入っているかが問題/と、神父さまはおっしゃった/南無アッバ

*いつも沢山の句をありがとうございます。選句前の作品は保管しています。俳句は必ずスランプが誰にでも来るので、作れるときにどんどん作り込んでください。

井口萬里子(三浦)
花陰に鶏鳴きて驚きぬペテロが否みし鶏鳴教会
ガリラヤに月影おぼろキリストも遠蛙聞き祈りたるらむ
一点と思ふわが身もやがて消え在るは黄河の流れのみなる

*③黄河への旅のなかで、「一点」の「我」へのこだわりが消滅した・・・体験をされた由。復活の「キリスト」に出会った「ペトロ」の回心体験が想像されます。

片岡惇子(名古屋)
向日葵の裏葉に痛みそっと置き
天国にも定席有りや夏椿
人救ふ人の心や夏椿
蝉時雨一人生かさる主の心

*連日の猛暑・酷暑のなか「出来ることを日常として過ごしています」とのおたより。至言です。この厳しさのなかで「主の心」にアーメンと祈るとき、「一人生かさる」意味が見えてくる。

小林昌子(甲斐市)
「ルルドへの行進」の絵のよな宵の空瞬くうちに色は移りて
「ルルドへの巡礼」絵の空清しくてそも妻二億隠す哀しき

故平山画伯の絵の空に、暮春のころの夕から夜にかけて移りゆく、ほんの一瞬の空の色合いが重なるようなときがあります。以来毎年、春が暮れていくころのそんな空を懐かしく見上げてきました。

*シルクロードの印象的な絵を書いた平山郁夫画伯ですね。求道(俳句)詩歌は、人間の弱さや荒みも歌うべきだと思っています。②も敢えて載せさせて頂きました。

佐藤淡丘(豊田)
木下闇こころの憂きを置きて去る
人混みの炎昼にゐて呼気吸気
古民家にのっと現わる黒揚羽
かなかなやよせてはかえすかのくにへ

五月から月一回のわりで、「遠藤周作を読む会」が南山大学の一室で始まりました。呼びかけは、南山宗教文化研究所の教授・キム金承哲先生。その都度十四、五名の人々(年輩者、男女半々)が集まります。温和な金先生に連なり、主要作品の中から一作品を皆で選び、手を上げた気さくな人が、前もって「レジュメ」を作り、その日の話し合いの下敷きとしています。

先回は、『満潮の時刻』が採り上げられ、キリストの「まなざし眼」・犬のめ眼・九官鳥のめ眼等「眼」についての活発な意見が出て楽しい会となりました。「余白の風」の井上神学から学んだ私は幸い、キリストのまなざし(共苦・悲愛)に通ずる何かを感じたひとときでした。南無アッバ。感謝。

藤居康二郎(竹原)
孫たちと笑いの中の西瓜わり感謝のうちに南無アッバアーメン

*お子さんやお孫さんたちと近くの海に海水浴に行かれた時の御作。第五句(結句)が破調になっている(九音)件ですが、五音(定型)+四音なので、このままで気になりません。

平田栄一(蓮田)
言わずもがな心に収め山椒魚
断腸の思い憐れみ神の春

寄贈誌より
「こみち」二五七号・魚住るみ子
残生の春彩るや赤き家具
緑陰や男のまどい団居将棋盤

*「団居」に「惑い」を連想してしまう私です(笑)。「こみち」今号の「神学生プロフィール」思わず読み入ってしまいました。召命とは・・・。

「驢馬」・詫和子
病みてなほ気丈な母や春行けり
パラソルをたたみ合掌友送る

「日矢」五八二、三号・新堀邦司
高麗王の降り来る音ぞ青嵐
父の日の近し散髪済ませけり
ほうたるに逢ひたき宵となりにけり

*①埼玉県人なら遠足で一度は行く古い神社。②なぜか「父」と「散髪」は合う。父になった自分が父を思い出しながら髪を刈られている。③「ほうたる」にはなかなか会えなくなった時代の寂しさ。

「祭演」四五号・神野紗希
愛が足りないミモザが塀をはみ出して
現世いま歪みはじめる花筏

*これらの句に出てくる「愛」や「現世」をキリスト者として読んでみると、また新しい発見があるように思います。

南無アッバの集い&平田講座要約(第二九回 上)

お知らせ:荒木千恵子(本誌会員)
 「風の家」須波分会をスタートします!
私たち日本人の心の琴線にふれる「イエスの顔」をさがして、イエスの福音のよろこびを知りたい、日本の土地にイエスの福音の芽が育ちますように。
毎月最終日曜日午後一時~三時
「風の家」の須波分室の集いをチコの部屋ではじめます(無料)。どなたでもどうぞいらっしゃいませ。なごやかな、ほんのりとした分かち合いができますように。南無アッバ。
連絡先:広島県三原市須波二の五の三五
Tel:0848・67・8161

―――――「余白の風」入会案内―――――
*どなたでも参加できます。このブログサイドバーをご覧ください。

category: 求道詩歌誌「余白の風」

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://yohaku5.blog6.fc2.com/tb.php/2493-b68ba861
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

講座・南無アッバの集い

求道詩歌誌「余白の風」

最後の南無アッバミサ

カテゴリ

全記事表示リンク

▲ Pagetop